2014.04.01
AYANO (Cyntia)「KRONOS & KingKORG」インタビュー
2012年4月のデビュー・シングル「Run to the Future」に続き同年9月にはファースト・アルバム『Endless World』をリリース。瞬く間にHM/HR系のガールズ・バンドとして人気急上昇中のCyntia(シンティア)。アルバム・デビュー直後に敢行された3ヶ月連続ライブでは全公演ソールドアウトを果たし、「Player」誌の読者人気投票の「BEST NEW ARTIST」部門で1位を獲得。「BURRN!」にて年に一度発表されている「HEAVY METAL CHAMPIONSHIP 2013」で、新人アーティストの最高峰のBRIGHTEST HOPE部門でCHAMPIONを獲得と、まさに破竹の勢いで迎えた2013年3月には待望のメジャー・デビューとなるセカンド・アルバム『Lady Made』の発表と、4月にはデビュー1周年ライブを控えている。今回は、Cyntiaのキーボード/ピアノ/コーラスのAYANOに、これまでの音楽歴やCyntiaのこと、そして愛用のコルグ製品などについてお話を伺った。
掲載日:2013年3月15日
公式サイトの好きなアーティストのところにズラーッと並んでいますね。
並んでますね(笑)。あれでも書ききれていないアーティストがまだいっぱいいるんです。
かなりマニアックなアーティストがいっぱいありますね。
実はDream Theaterも大好きなんです。去年、SHIBUYA-AXでのライブを観まして、やっぱりスゴかったですね。ジョーダン・ルーデス、大好きなんです。
彼らは確かバークリーでしたよね。バカテクですよね。
そうですね。
でもAYANOさんもピアノは5歳からなんですよね?
趣味程度というか、コンクールに出るとかそういう感じではなくて、弾きたい曲を選んで、その曲を教えてもらう感じのレッスンだったんです。
その頃はどんな曲が好きだったんですか?
当時、『月光の夏』(*1)という映画が上映されていて、その映画で流れていたのがベートーヴェンのピアノソナタ第14番、別名「月光」でして、それを聴いてから虜になって、CDを買ってきたら一緒に入っていたのが「悲愴」(*2)と「熱情」(*3)だったんです。それで、「この3つは弾きたいんだ、とにかく」っていうことで先生にお願いをして、そこから入りました(笑)。基礎も何もない状態なのにいきなりそこからだったんです(笑)。
(*1)『月光の夏』:毛利恒之の同題の小説を1993年に映画化した作品。監督は神山征二郎。
(*2)「悲愴」:ベートーヴェン作曲ピアノソナタ第8番。
(*3)「熱情」:ベートーヴェン作曲ピアノソナタ第23番。「月光」、「悲愴」と併せて「ベートーヴェンの三大ピアノソナタ」と呼ばれている。
バイオリンもやっていたそうですが。
小学校5年から中学3年までですね。たまたま、家から歩いて1分もかからないところにバイオリンを教えてらっしゃる先生のご自宅があったんです。子供にも優しく教えてくれるということで近所でも有名な方で、私自身、やりたがりのタイプなので「私も習いたい!」ってお願いしまして(笑)。
さらにギターもやってたんですよね。
小学校4年生の時にGLAYにハマりまして、HISASHIさんが大好きですけど、まだギターとベースの違いもわからなかったんですが、兄に「お年玉が貯まったぞ。これでギターを買いたい」って言って兄に全財産を預け、エレキギターを買ってきてもらったんです。ところが、兄が全部奪っていくわけですよ(笑)。それから何年もしてボロッボロになって帰ってきました(笑)。
それで16歳からギターを…。
そうですね。ギターを奪還し(笑)、たまたまその時に「ガールズ・バンドをやろうよ」って誘われて入ったんです。そしたらちょうど地元のテレビ局の企画で高校生バンドを募集していまして、応募した中で女性のギタリストが私だけだったんですよ。それで受かっちゃったんです。技術は関係なく(笑)。「お、これはどうしよう…」って思いまして、それで16歳からギターを再開して結構一生懸命やったんですよ。
メタルやハードロックが好きになったのもその頃ですか?
割と進学校っぽいところでガリ勉タイプだったんですけど、高校受験で第一志望に受からなくて気持ちが「パーン!」って飛んじゃったんですね(笑)。その反動で「ダークな音楽を聴いてやるぜ!」的な方向に向かったんです(笑)。それで、学校帰りにCDショップに寄って「今日私はこのダークな音楽を聴いて生まれ変わるんだ!」とか言って、「このコーナーの音楽は絶対悪いはずだ」って思ったのがヘヴィ・メタルのコーナーだったんです(笑)。並んでいるアーティスト名が知らないアーティストばっかりだったんですが、その中で1枚だけ知ってるアーティスト名があって、それがマリリン・マンソン(*4)だったんです。これはどうしよう…」って思いまして、それで16歳からギターを再開して結構一生懸命やったんですよ。
(*4)マリリン・マンソン:マリリン・マンソン(Vo.)率いるアメリカのオルタナティブ・メタル・バンド。1989年結成。メンバー・チェンジを繰り返しながら、独特の世界観を持つ音楽性や歌詞、ステージ演出などで度々物議を醸し出すことでも広く知られる。
またよりによってマリリン・マンソンですか!
「これは知っている。これを聴けば間違いないだろう」って思って棚から取り出してみたら、あの感じのジャケットで(笑)。「これは悪そうだ。これに行くしかない!」っていう感じで…(笑)。
で、聴いてみてどうでした?
「これは絶対、悪の道に染まれそうだ!」って思いましたね(笑)。そういう、ちょっと安易な発想のもとに聴いたんですけどその音楽に衝撃を受けて、そこからのめり込んで、「なんだこの音楽、カッコいい!」って思いました。それからネットでその筋の情報を集めまくりました。私が知った頃はすでにベースのトゥイーギが脱退した後で、メイナード・ジェイムズ・キーナンが率いているパーフェクト・サークル(*5)に移籍していることが分かり、それでそちらも聴いてみたらそれもカッコよくて、それからどんどんその筋の色んな音楽を聴いていきました。
(*5)パーフェクト・サークル:アメリカのオルタナティブ・メタル・バンド。ビリー・ハワーデル(G)と、トゥールのメイナード・ジェイムズ・キーナン(Vo.)を中心に1999年結成。2004年に一時解散するも、2008年に再結成を表明し、現在も活動中。
その後キーボードにスイッチしたのはいつ頃だったんですか?
たぶん高2ぐらいからで、初めてシンセサイザーを買ったのは高3の5月だったんです。その理由は、根はマジメだったのか(笑)、「一応大学行っといたほうが良いんじゃないか?」って思ってたんです。でも、音楽をやりたいっていうことで、色々考えていたら音大で何かできるらしい、っていうことを知り、親に相談したら「音大だったらバイオリンの先生が詳しいよね」っていうことで、またそこに戻るわけですよ。先生を訪ねたら何校か紹介して下さって、その中でやりたいことが学べるところ、それが後に入ったところなんですけど、その音大の募集要項を見たら「自由作曲課題」でオリジナル曲をCD-Rにして提出することが条件だったんです。
お!
それを見て「これは今の私ではできないぞ!」って思って色々調べたら、シンセサイザーが1台あればできるらしいっていうことが分かり、その頃知っていたのがTRITONシリーズでしたので、コルグのホームページを見ていたんです。
それで初めて買ったシンセが…。
OASYSでした(笑)。76鍵バージョンの。
いきなりOASYSですか!
その頃は本当に焦っていて、音大にはどうしても入りたい、でもシンセのことが全然分からない。知っているのはTRITONだけ。でもコルグのホームページを見たらOASYSがドカーン!ってモンスター・シンセ的なイメージで出ていて、とにかくスゴイものを買えば自分もスゴくなれるんじゃないかと思いまして(笑)。すっかり魅了されました。
それでCD-Rにするまでの過程を勉強したんですね?
それはもう大変でした。高3の5月にOASYSが届いて、すごく分厚いマニュアルを読んで、何しろ知識皆無の状態からスタートしましたからとにかく大変でした(笑)。ギターもOASYSで録って大学に提出しました…。提出は11月でしたから半年で何曲か作って、大変でしたね。マニュアルの索引から知りたいページを引いて、そこから操作方法を学んでいきました。