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2014.04.14

島田 昌典「KRONOS X」インタビュー

J-POPの数々の名曲が生まれる“奥の院”

J-POPの数々の名曲が生まれる奥の院

aiko、いきものがかり、秦基博、その他にも数多くの日本のポップス・シーンをリードするアーティスト達の共通点。それは取りも直さず島田昌典氏によるアレンジ、プロデュース・ワークがある。自宅兼作業場であるGreat Studioには、ビンテージから最新までコレクション・クラスのものも含めて膨大な量の楽器が、どれも稼動可能な状態で管理されており、コルグ・ユーザーとしては最新機種のKRONOSも愛用している。今回、島田昌典氏のGreat Studioを訪問し、機材のこと、音楽のことなどについてお話を伺った。

歴史の始まり

島田さんといいますとやはり「夢の乱入者」(※1)を思い出される方も多いかと思いますが、あの番組はすごかったですね。

ご存知ですか!ありがとうございます。当時はステージ・ピアノのSG-1を中心にコルグのキーボードを使っていました。

※1:「夢の乱入者」: 関西テレビ制作の音楽番組。1990年から1997年にかけて放映。ギタリストの渡辺香津美をメイン・ホストとして島田昌典(キーボード)、清水興(ベース)、東原力哉(ドラムス)をメイン・メンバーに、多彩なゲスト・ミュージシャンを毎回迎え、ジャンルを超えたセッションを展開し「音楽で会話をする」ことをテーマとしたテレビ番組。

番組は1990年からでしたよね?

そうです。そこから7年ほど続きました。

島田さんのキャリアとしても初期の頃だったのでしょうか?

あの頃はまだ20代でした。大阪で「Human Soul」というバンドに参加していたんですが、そのときの流れでベースの清水(興)さんとか、(東原)力哉さん達と一緒に演奏させてもらっていました。それで、(渡辺)香津美さんから「一緒にやりませんか?」ということがあって、あのホストバンドができたんです。

ああいう番組は今でもやって欲しいですよね?

そうですよね。もちろん音楽番組は今でもたくさんあるんですけど、ああいう「出会い頭」的なセッション番組はあまりありませんし、やっていて(ミュージシャンとしての)醍醐味を感じていました。

ちょうど同じような時期にアメリカでもデイヴィッド・サンボーンがホスト役の番組(「Night Music」(NBC制作))がありました。

ありましたね!あまり見られないようなミュージシャンの組み合わせのセッションが面白かったです。

そういう面白さは「夢の乱入者」にもありましたね。

すごく楽しかったですし、自分の中でも勉強になったことがたくさんありました。先日(※2)、十数年ぶりに復活ライブがあったんですけど、みんな年輪を重ねていました(笑)。でも演奏はかつてと変わらず、パワフルでした。

※2:先日の復活ライブ: 「夢の乱入者」ホストバンドの復活ライブが2013年4月に関西テレビ開局55周年記念企画として開催された。その後同年6月にその模様を放映。

当時はSG-1、M1、01/Wが中心でしたね。

でも、その前からコルグ・ユーザーだったんですよ。大学生だった頃にアルバイトをしてMS-20とデルタを買いまして、それが最初のコルグ製品でした。その後、Polysixを買ってライブでよく使っていました。デルタのストリングスが良いんですよね、少しザラッとした質感で音が太くて。

SG-1

SG-1

島田昌典

当時はストリングス・キーボードの音色も各社それぞれ独特でしたね。

そうですね。あと(デルタの)ブラスっぽい音も良かったです。MS-20は何とかMoogに近づけようと色々やっていました。そうすると、パッチングの面白さにどんどんハマっていって、そこで音の勉強と言うか、信号の流れとか、そういうことを学べました。

MS-20もフィードバックを使うとかなり太い音が出ますからね。その頃はどういった音楽をされていたんですか?

学生の頃はちょうどフュージョン・ブームで、国内ではカシオペアとかナニワエキスプレス、海外でもフュージョン・バンドがたくさんあったので、軽音部でフュージョンの曲をカバーしていました。

そうなると、日々弾きまくりといった状態だったんですね?

そうですね。ちょうど大学が電気系のところでしたので、MS-20を無理やり改造してギターのネックを付けて、ショルダー・キーボードにしたこともありましたよ(笑)。友達に作ってもらったんですけどね。ネックにはピッチ・ベンド・ホイールを仕込んで、ちゃんとベンドもかかるようにしてもらいました(笑)。

すごいですね!その改造MS-20は今もあるんでしょうか?

残念ながら処分しちゃったんですよ。せめて写真だけでも撮っておけば良かったんですが…。そういう無茶もしてました(笑)。

ヤン・ハマーみたいな感じですね?

憧れましたね。彼の独特の音に何とか近づけようとしたんですが、そのカギがオシレーター・シンクだったんですよね。それが当時は分からなくて、「どうしたらこんな音が出るんだろう…」って思っていました。Minimoogにもオシレーター・シンクは付いていませんし。で、調べてみたらどうやらシンク改造をしていたみたいですね。それで、そのシンクのコントロールをペダルでやっていたんです。

その当時の島田さんは完全にプレイヤー志向だったんですね?

そうですね、30歳ぐらいまではプレイヤーとしていろんなセッションなどで演奏していました。それから徐々にアレンジやプロデュースの仕事へ進んでいった感じです。