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2016.11.18

ROTH BART BARON「minilogue」インタビュー Powered by CINRA.NET

たった一人、無心で音楽を探求する中で再会を果たしたパートナー・中原鉄也
 
三船さんの「音楽の探求」は深まる一方でした。「こんな面白い音楽があるのか」「こんな変な楽器があるのか」「こんな録音技術があるのか」……。新たなことを知るたびに興奮を覚える三船さん。テープを逆回転させたり、ヘッドホンをマイクとして使ってみたり、さまざまな音響実験を繰り返していました。

 


三船 :「こういうコードにこういう歌詞を乗せて、こういうサウンドで鳴らすと人は感動する」というようなヒットの法則よりも、もっと音楽の根源的なところ興味を持ったんですよね。僕が音楽に感動するのは、そういうヒットのテンプレに則っているからじゃなくて、作り手のアイデアや生き方、作品の本質に共感しているからなんじゃないかと。「100万枚ヒットを出すための法則」ってあると思うんですけど、それに則って作られていない音楽に、僕は感動するんですよね。

 


多くの人が、メジャーなヒットソングを求め、それを生み出す方法を追求している中、たった一人「音楽の本質」へと突き進んでいく三船さん。孤独を感じることはなかったのでしょうか。

三船 :たぶん孤独だったと思うんですけど、音楽を作っているときはそんなこと考えなくても良かったというか。それが逃避なのか、前に進んでいるのかは、よくわからなかったですけどね。そうやって、自分自身にグッとフォーカスを当てて生きている中、20歳くらいのときに中原くんと再会したんです。

話をしていたら、彼もバンドをやっていて、3ピースバンドでドラムをやっていると言うので、「一緒にスタジオ入ろうよ」ってことになって。そこから一緒にやることになったのは、きっと楽しかったからですよね。大きい音でギターを鳴らせるのも気持ち良かったし。

 

三船のトレードマークと言える熊の置物
 

写真家・ウィリアム・エグルストンの写真集とマイク類



THEE MICHELLE GUN ELEPHANTなどのコピーバンドをしていた中原さんと、宅録青年だった三船さん。音楽性は全く違う二人でしたが、テニス部でタッグを組んでいたということもあって、気心は知れていました。しばらくはライブハウスに出ることもなく、ただひたすらデモテープを制作する日々。それでも三船さんにとっては、毎日が刺激的だったと言います。

三船 :人が増えるとアイデアも増えるし、そういった中でのコミュニケーションとか、二人を取り巻く人たちとのつき合いとか、本格的にライブを始めるまでの数年間は、何かが生まれそうな予感が渦巻いていましたね。その時間はすごく充実して、クリエイティブだったし、僕の気持ちも外に向かっていました。

 
ROTH BART BARONの船出。独自の音楽性と歌詞世界について
 
サポートメンバーを迎え、「ROTH BART BARON」名義でライブを重ねていくうちに、アメリカの伝統的なフォークミュージックとオルタナティブロックを融合させたような、独自の音楽性も確立されていきました。Bon IverやFleet Foxesといった音楽と、並び称されるようになったのもこの頃です。

 


三船 :でも、意識してそうなったわけでもなくて。前もって「こんなサウンドにしよう」みたいな話し合いは、一度もなかったんですよね。方向性を先に決めて、それに進んでいくというよりは、僕が作った原型をバンドで合わせていくうちにこうなったというか。

方向性やコンセプトみたいな外堀を先に埋めていってしまうと、雰囲気だけの、全く本人には似合っていない音楽になってしまいがちじゃないですか。そうじゃなくて、まずは自分の中にあるものと向き合って、それを正直に出していったほうがいいんじゃないかと。それがだんだんオリジナリティーとして確立されたのかもしれないですね。
 
ROTH BART BARONは歌詞も独特です。J・R・R・トールキン(『指輪物語』などで知られるイギリスの作家)や宮沢賢治、ヘルマン・ヘッセ(『車輪の下』などで知られるドイツの作家)の初期短編、水木しげるや諸星大二郎などに影響を受けたというその世界観は、どのように培われてきたのでしょうか。

三船 :実は本を読むのが子どもの頃は苦手で。読書感想文とか大嫌いだったんです(笑)。本に対する苦手意識は、普通の人より高かったかもしれない。そこにコンプレックスもあったんですけど、あるとき授業があまりにもつまらなくて、暇つぶしに本を読み出したらハマって。

音楽と一緒でハマると追求するタイプなので、岩波文庫を買い漁ったり、インディアンに興味を持ったらその文化についての本を集めたり……。読書をすることで、自分の知らない世界を見せてくれたり、ちょっとした旅行気分を味わえるのが嬉しかったんですよね。その辺の動機は音楽に通じるものがあると思います。

 

スタジオ内に置かれていた本


 
実験と探求の末に海外レコーディングを夢見たROTH BART BARONの快進撃
 
2014年には「felicity」へと移籍したROTH BART BARON。同年リリースしたデビューアルバム『ロットバルトバロンの氷河期』は、音楽メディアの2014年ベストディスクに数多く選ばれるなど、その名を轟かせました。

三船 :このアルバムのレコーディングはフィラデルフィアでおこなったんですけど、海外スタジオで録りたいというのは、レーベル契約の前から考えていたんです。それは、自分たちが求めているサウンドを手に入れるため。いろいろ実験してみても、理想通りのサウンドにはなかなかならなかったんですよ。特にドラムサウンドとボーカルは、一度海外に学びに行かないことには、ずっと納得しないままなんじゃないかと思ったんです。

それで、自分たちで行きたいスタジオをリストアップして、コンタクトを取って。やっぱりそれなりに予算もかかるので(笑)、「とにかくお金を貯めて1曲だけでも録ってこよう」と話していました。当時、いろんなレーベルからリリースの話をいただいていたのですが、そんな僕らの考えを一番面白がってくれたのがfelicityだったんですよね。

 


自分が今、「やりたい」と思ったことは追求したい。あとから「あのとき、本当はこうしたかったんだよね」なんて言い訳する40代にはなりたくない。そう言い切る三船さん。自分が欲しい音のために手間暇を惜しまずストイックに追求する、そんな姿に人は心打たれるのでしょう。2015年には2ndアルバム『ATOM』をリリース。カナダはモントリオールでレコーディングされた『ATOM』は国内外で高く評価され、念願の米国ツアーも実現させました。はたから見ると順風満帆のようですが、実際はどうなのでしょうか。

三船 :なかなか100%満足いくことはなくて。逆に、追求すればするほどその奥には深遠なる音楽の世界が広がっていて(笑)。「やりたいこと」と「達成したこと」の差も感じて、やるたびに反省材料はあるんですけど、それをちゃんと改善したい気持ちは常にあります。確かに、他の人から見たら順風満帆なのでしょうけど、自分としては「まだまだこれから」っていう気持ちですね。どこまでいけば満足できるんだろう……(笑)。

ここ1、2年で急速に注目を集めるようになったROTH BART BARONですが、実は結成から今日まで長い下積み期間があり、そこで着実に下地を築き上げてきました。だからこそ、ふいに訪れるチャンスも確実にものにしてきたのでしょう。

 

 

8月末に開催された『ROTH BART BARON presents KORG SESSION』で販売されたTシャツ



三船 :そうなんですよね。バンドとしてちゃんと活動をし始めたのはここ5年くらいですが、その前からずっと音楽はやっていたわけで。ここ最近はフェスなどに呼ばれることも多いですし、先日は佐藤タイジさん(シアターブルック)とご一緒したり、MONOやTHE NOVEMBERSにイベントに誘ってもらったり、音楽で人や社会とつながっていられるのは、本当に嬉しく幸せに思いますね。