2016.11.18
ROTH BART BARON「minilogue」インタビュー Powered by CINRA.NET
あの人の音楽が生まれる部屋 Vol.30 Powered by CINRA.NET
なぜROTH BART BARONは「孤高の存在」になりえたのか?
インタビュー・テキスト: 黒田隆憲 撮影:豊島望 編集:山元翔一
なぜROTH BART BARONは「孤高の存在」になりえたのか?
インタビュー・テキスト: 黒田隆憲 撮影:豊島望 編集:山元翔一
凛とした強さと美しさを持つハイトーンボイスと、ブルースやソウル、フォークなどを基調とするアンサンブル、さらにはエレクトロニカやサイケデリアをも取り込んだ知的なアレンジによって、Bon IverやFleet Foxes、Iron & WineらUSオルタナティブ勢とも並び称される、東京発の2人組ROTH BART BARON(ロットバルトバロン)。
昨年、カナダはモントリオールにてレコーディングされた2ndアルバム『ATOM』と、それを携えフルバンド編成でおこなわれる彼らの圧倒的なライヴパフォーマンスが現在大きな注目を集めています。そんな彼らの音楽性は、一体どのようにして培われてきたのでしょうか。全てのソングライティングを手がける三船雅也さんの自宅スタジオに潜入しました。
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ROTH BART BARON(ろっと ばると ばろん)
三船雅也(Vo,Gt)、中原鉄也(Dr)から成る2人組フォークロックバンド。2014年、米国フィラデルフィアで制作されたアルバム『ロットバルトバロンの氷河期』でアルバムデビュー。続く2015年のセカンドアルバム『ATOM』は、カナダ、モントリオールのスタジオにて現地のミュージシャンとセッションを重ね作り上げられた。2015年はアジアツアーをはじめ、国内外のフェスへの出演なども精力的に行っている。年末には自主企画イベント『BEAR NIGHT』を開催予定。
| 構造を知ることで音楽の世界が広がり、創作意欲をかき立てられた三船少年
小さい頃から音楽好きだったという三船さん。母親が移動中の車で流す、The BeatlesやThe Beach Boys、松任谷由実などに慣れ親しんで育ちました。とはいえ自分から進んで楽器を演奏したり、人前で歌ったりしたことはほとんどなく、中学ではテニス部に所属。現在のメンバーである中原鉄也さん(Dr)とはそこで出会い、タッグを組んで試合に出るなどしていました。
三船 :テニスは特別やりたかったわけでもなく、「せっかく部活があるんだったら運動部に入ったら?」と、親に言われるがまま入部した感じです(笑)。音楽をちゃんとやろうと思ったのは高校へ入学してからで、それまではCDを熱心に買ったこともないんですよ。クラスメイトが文化祭のために組んだバンドの練習を眺める毎日でした。
三船 :テニスは特別やりたかったわけでもなく、「せっかく部活があるんだったら運動部に入ったら?」と、親に言われるがまま入部した感じです(笑)。音楽をちゃんとやろうと思ったのは高校へ入学してからで、それまではCDを熱心に買ったこともないんですよ。クラスメイトが文化祭のために組んだバンドの練習を眺める毎日でした。
三船雅也
友人に触発され、時折ギターを触ってみては、Fのコードが押さえられずに断念……という日々を繰り返していた三船さん。しかし、そのうちに押さえられるコードの数が増えてくると、「この音楽はどんな仕組みになっているのだろう?」ということに興味が湧き始め、限られたコードを組み合わせながらメロディーを作り始めました。三船さんにとって楽器は、「創作」のためのツールであり、ドライバーやニッパーなどを持つのと同じ感覚に近かったようです。
三船 :ポップミュージックって、実は複雑じゃないですか。コード進行もよく変わるし、展開もたくさんあるし。だから自分でやるのは無理だったんですよ。でも、好きな音楽が増えていって、いわゆるクラシックロックから古いフォークミュージック、ブルースを遡っていくと、構造は単純なんだということに気づいたんです。
当時よく聴いていた1990年代のオルタナティブロック、例えばPixiesやNirvanaなどもコードはシンプルで、耳で音を拾うのが簡単だった。そこから、「音楽って、こういうふうになっているんだ」みたいな感じで広がっていったんですよね。
三船の使用するエフェクターボード
| 音楽に没入し、生業とすることを信じて疑わなかった高校時代
楽器を手にしても三船さんはバンドを組まず、一人で自宅録音にいそしんでいました。当時は、The Beatlesがレコーディングの際にどんな楽器や機材を使って「あのサウンド」を出しているのか、調べることに夢中だったそうです。
三船 :単に演奏するだけでなく、それをスタジオワークで変なサウンドへと加工していくことに、俄然興味を持ち出している自分に気づいたんですよね。思えば映画でも、裏方の人たちに興味が湧き、『ゴジラ』の特撮現場に潜入したいと思っていたような子どもなので(笑)、音楽でもそういうところがあったんでしょうね。
それに当時はちょうどDTM(デスクトップミュージック)が出てきた頃で。それまで4トラックのカセットMTRで宅録していたのが、いくらでもトラックを増やすことができたり、コンピューターの画面上で編集作業ができたり、一気にできることが広がっていったんですよ。そこに「自由」を感じて、宅録へとさらにのめり込んでいきました。ほとんど家に引きこもって音楽を作っていたから、「みんなで集まってセッションする」とか、そういうミュージシャンらしい経験が著しく欠落した人間なんです(笑)。
三船 :単に演奏するだけでなく、それをスタジオワークで変なサウンドへと加工していくことに、俄然興味を持ち出している自分に気づいたんですよね。思えば映画でも、裏方の人たちに興味が湧き、『ゴジラ』の特撮現場に潜入したいと思っていたような子どもなので(笑)、音楽でもそういうところがあったんでしょうね。
それに当時はちょうどDTM(デスクトップミュージック)が出てきた頃で。それまで4トラックのカセットMTRで宅録していたのが、いくらでもトラックを増やすことができたり、コンピューターの画面上で編集作業ができたり、一気にできることが広がっていったんですよ。そこに「自由」を感じて、宅録へとさらにのめり込んでいきました。ほとんど家に引きこもって音楽を作っていたから、「みんなで集まってセッションする」とか、そういうミュージシャンらしい経験が著しく欠落した人間なんです(笑)。
もちろん、音楽仲間も何人かいましたが、高校生活も後半になると受験や就職活動が忙しくなり、「音楽をやる」ということに対して周囲との「温度差」をさらに感じるようになっていきました。
三船 :居酒屋で楽しく飲んでいるときに、いきなりシリアスな話をしだす空気の読めない奴、みたいな感じになっていきましたね(笑)。もっと本気で音楽に取り組みたい、そうすれば何か道が開けるんじゃないかという気持ちもあって。
ただ、当時の自分が自信に満ち溢れていたかというと、そんなこともなくて。もし、誰かに「何がやれるの?」と問われたら答えは曖昧なまま、「やりたくないこと」「やらないこと」だけは決まっていた感じ。言ってみれば、「偉大なる勘違い野郎」かもしれない(笑)。この先、これがビジネスになるとか、誰かを感動させて……とかいうより先に、自分自身が感動させられていて、それを貪欲に追求していたのだと思う。