2018.11.05
斎藤拓郎(Yasei Collective)「KAOSSILATOR PRO & KAOSSILATOR」インタビュー Powered by CINRA.NET
Yasei Collectiveは4人から3人へ。10年の足跡と今後を語る
インタビュー・テキスト: 黒田隆憲 撮影:豊島望 編集:山元翔一、矢島由佳子
メ変幻自在のビートを操り、ジャンルの垣根を次々と打ち壊しながら、唯一無二のサウンドスケープを作り出すジャムバンド、Yasei Collective。今年7月にリリースされた、前作からおよそ2年ぶり通算5枚目のアルバム『stateSment』は、米国ニューヨーク州はロチェスターにあるレコーディングスタジオへと赴き、レコーディングからミキシング、マスタリングまで行った意欲作です。先日、メンバーの1人である別所和洋さん(Key)の脱退が報じられたばかりですが、11月のツアーファイナル以降、3人編成となる彼らの「次の展開」にも期待が集まります。
そこで今回、バンドのメインコンポーザーであり、ギタリストの斎藤拓郎さんの自宅を尋ね、これまでのバンドの軌跡を振り返ってもらいつつ、「新生Yasei Collective」への意気込みについても話してもらいました。
こちらの記事はCINRA.NETでもお読み頂くことができます。
Yasei Collective(やせい これくてぃぶ)
2009年に米国より帰国した松下マサナオ(Dr)、中西道彦(Ba, Syn)が斎藤拓郎(Vo, Gt, Syn)と共に結成。2010年、別所和洋(Key)が加入。自主制作盤『POP MUSIC』をリリースし、都内を中心にライブ活動をスタートさせる。2018年7月に5thアルバム『stateSment』をリリース。また、メンバーはそれぞれYasei Collective以外にも多数のバンド(GENTLE FOREST JAZZ BAND、ZA FEEDO、Pontadelic、HH & MM他)に参加、客演やCM、レコーディング参加等多岐にわたる活動も並行して行っている。
埼玉県本庄市出身の斎藤さんが、音楽に目覚めたのは中1の頃。4つ年上のお姉さんからエレキギターの「お下がり」を譲り受けたのがキッカケでした。やはりお姉さんの影響で、その当時流行っていたGLAYやHi-STANDARD、hide(X JAPAN)などを聴いていた斎藤さんは、彼らの曲をコピーしながらギターを練習するようになります。
斎藤 :高校生くらいの頃から友達とバンドを組んで、ジャムセッションなどしながらオリジナル曲を作っていました。ジャンルはメロコアですかね。Hi-STANDARDの曲を全てコピーし終わって、「次は何やろうか」っていうときに、自分たちで作りはじめた感じです。
斎藤拓郎(Yasei Collective)
その頃の斎藤さんにとって、音楽は「好きなものの1つ」くらいでした。中学の頃はサッカーに夢中で、高校時代には家から学校まで、およそ30キロの道のりを毎日自転車で往復していたそうです。音楽を真剣にやりはじめたのは大学に入ってからで、メロコア以外の音楽を聴くようになって興味の幅がどんどん広がっていきました。
斎藤 :なかでもジャズが気に入ったんですよ。それでいろいろ聴いているうちに、ジョン・コルトレーンとケニー・バレルの共作アルバム『Kenny Burrell & John Coltrane』(1963年)に収録されている、“Lyresto”という曲に出会ったんです。たしか、ディスクユニオンで安く売っていたのをジャケ買いした記憶がありますね。
Kenny Burrell & John Coltrane“Lyresto”を聴く(
Apple Musicはこちら)
斎藤 :ケニー・バレルのアドリブに魅せられて、「こんなふうに自由にギターが弾けるようになりたい」と思ってジャズ研に入部しました。ただ、ジャズ研はいわゆるコンボ系(少人数で、各プレイヤーのアドリブソロが演奏の中心の編成)ではなくビッグバンド(大人数によるアンサンブル形態の編成)が主体で、自分がやりたかったものとは少し違ったのですが、それはそれでいい経験になりました。
それまでは歌モノの、ポップな楽曲を作っていた斎藤さんでしたが、ジャズ研に入りジャズのコード理論を学んでいくうちに、それが曲作りや演奏にも活かされるようになっていきました。もちろん、今でもポップミュージックは大好きで、なかでもThe Beatlesの影響は大きいそうです。高校生の頃に購入した『ビートルズ・ベスト曲集』(シンコーミュージック)は、部屋の目立つところに置かれており、「Yasei Collectiveでも曲によってはかなり意識して作っている曲もある」と話してくれました。
| アメリカ仕込みの2人のジャズメンが斎藤にもたらしたもの
そんな斎藤さんが、Yasei Collectiveを結成したのは2009年。米国より帰国した松下マサナオ(Dr)さん、中西道彦(Ba,Syn)さんとジャムセッションを行なったのが全てのはじまりでした。
斎藤 :マサナオくんは同じサークルだったし在学中から知っていて、渡米するときにも送別会をしたりしているんですよ。当時、僕は別のバンドを組んでいたのですが、彼が帰国した頃ぐらいに買ったマルチエフェクターのサウンドをすごく気に入ってくれたんですよね。彼がやりたかったバンドのイメージに近かったらしくて。それでマサナオくんの、長野の実家近くにある山小屋みたいなところで、ミチくんと3人で合宿したんです。そのときに、アメリカ仕込みのジャズの知識を叩き込まれました。
Yasei Collective「Goto」
2010年には、別所和洋さん(Key)が加入し4人編成に。そのときから、サウンドのコンセプトは明確にあったそうです。Yasei Collectiveは、Steely DanやTOTOのサポートでも知られるキース・カーロックが率いるギターレスのジャムバンドRudderや、ドラマーのネイト・ウッド率いるKneebodyのようなバンドを目指して始動しました。とりわけRudderの影響は大きく、初期Yasei Collectiveの楽曲“MML”は、Rudderを雛形にして作った曲です。
斎藤 :とにかく、キース・カーロックのドラムには痺れました。まるで重戦車のようなビートで、YouTubeで見せられたときには衝撃が走りましたね、「なんだこいつら!」って(笑)。まだ日本では、ロバート・グラスパーやクリス・デイヴが今ほど浸透していなくて、彼らとRudderやKneebodyは、ジャズとエレクトとの折衷、ポリリズムや変拍子の面白さを教えてくれたという意味でも同じ文脈で聴いていました。
Rudder『Matorning』(2009年)を聴く( Apple Musicを開く)
「音楽というのは、繰り返しのなかに楽しさがある」と斎藤さんは言います。
斎藤 :たとえば、いきなり「4拍5連」(4拍を5等分したリズム)をやろうとしたり、「7拍子と11拍子の変拍子」と言われても、すぐには演奏なんてできないんです。でも、それをマスターして繰り返すことによって、その気持ちよさが理解できる。それはポリリズムも同じなんです。
最初は全く理解できないし演奏もできなかったフレーズが、やっているうちにだんだんと身についていく喜び……困難を克服するアスリートみたいな気持ちになっていくというか(笑)。そこをあまりにもストイックに追求しすぎると、今度は「踊れないよ!」と言われてしまうので、その辺はバランスが大事ですね。
Yasei Collective『stateSment』収録曲
Yasei Collectiveの音楽は、そうした最先端のジャズミュージックの要素をいち早く取り込みつつも、あくまで「日本の音楽」として鳴らされているところにも大きな魅力があります。
斎藤 :僕らは日本人なので、意識しなくても日本っぽくはなるんです。あと、実を言うと僕自身は、ジャズに対してそこまで入れ込んでいるわけでもなくて。というのも、ジャズ自体がそんなに向いてないというか……コピーしたそばからどんどん「抜けて」いくような感覚があるんです。ジャズはあくまでもエッセンスであり、テクニックの1つとして取り入れています。そのあたりは、メンバーそれぞれ距離感は違うと思いますけど。
| 国内外共通して「ギターの役割」が変化しつつある今、斎藤のこだわりは?
斎藤さんのエフェクター周りや、ライブでの役割分担は今、どのようになっているのでしょうか。というのも、ギタリストである斎藤さんの部屋にはギターらしきものは見当たらず、DAWソフトがインストールされたパソコンと、ライブでいつも使用しているエフェクター類しか置いていないのです。
Yasei Collectiveをはじめて1年くらいで、マルチエフェクターと「KAOSSILATOR」、そしてボコーダーという斎藤さんのセットはできあがりました。そこにさらにサンプラーを加えることで、現在のサウンドやスタイルがほぼ完成。「特に目指すギタリストがいたわけではなく、あまり人がやらなそうなことを探っていった結果こうなった」と斎藤さんは笑いますが、たしかに、エフェクターをテーブルに並べ、その前に座ってギターを弾く人をあまり見たことがありません。
斎藤 :「ジャズはあくまでもエッセンス」と言いましたけど、正直ギターに対するこだわりがないんですよ。「ギタリストらしくないプレイをする」というのがこだわりというか。ギターにエフェクターをかけたり、シンセの音に置き換えたりして、ギターらしくない音を作るのが楽しいんですよね。なので、最も自分が得意な楽器であるからこそ、曲作りや演奏の手段としてギターを使っているという程度の認識なんです。
Yasei Collective「Uncle B」@森、道、市場2016
斎藤 :周囲のバンドや、自分が好きな海外のバンドなどを見ても、ギターの役割や立ち位置自体が変わってきているような印象もありますね。あくまでの音色の1つとして捉えていたり、ギターらしくないプレイをあえてしていたり。
たとえばThe Internetのスティーヴ・レイシーなんて、iPhoneで録音したりしているみたいなんですけど、そういう発想のバンドが同時多発的に出てきたのは、やっぱりSNSの普及と、テクノロジーの発達が大きく関係しているような気がします。
斎藤のエフェクターボード
2011年に1stアルバム『Kodama』をリリースし、その翌年には『FUJI ROCK FESTIVAL'12』への出演を果たしたYasei Collective。以降、各地のロックフェス、ジャズフェスに出演するなど、充実した活動をしながら着実にキャリアを積み重ねていきます。
斎藤 :結成してもうすぐ10年経つんですけど、ターニングポイントは数年ごとにありましたね。大抵は人との出会いというか。それによって新しい扉を開いたり、次の展開を見出したり。マーク・ジュリアナや、Kneebodyと共演できたのも、もちろん自分たちにとっては大きな出来事でした。
斎藤 :何しろ、最初に山小屋でセッションした頃から「ゆくゆくはKneebodyやジュリアナとも共演したいよね」って話してましたから。具体的な目標を定めて、そこに到達するなら今、何をすべきかをマサナオくんを筆頭にみんなでちゃんと考えていたんですよね。そういう意味では1つの目標をクリアし、「次はどうしよう?」という話は去年の1月のBlue Note公演が終わったくらいから話し合っています。
| Yasei Collectiveは4人から3人へ。4人時代の集大成と今後について
今年7月には、ニューアルバム『stateSment』をリリースしたYasei Collective。ニューヨークはロチェスターにあるスタジオ「The Green Room」で制作された本作は、「Combination Nova」をテーマに掲げて、ジャズはもちろん、トラップからメロコアまでをも取り込んだ、ごった煮でありながらも「Yasei Collectiveらしさ」が貫かれたアルバムに仕上がっています。
Yasei Collective『stateSment』ジャケット( Amazonで見る)
斎藤 :「The Green Room」のエンジニアがマサナオくんの知り合いで、試しにレコーディングできないか聞いてみたところOKだったので行ってきました。僕自身はアメリカへ行くのは初めてというのもあって新鮮だったし、とにかく全てのサイズが日本よりもひと回り大きいんですよ。物の大きさや、人の大きさ、考え方もでっかい。
よく、海外でレコーディングすると電圧が違うっていうじゃないですか? 正直そこまで大きな違いは感じられなかったんですけど、でもやっぱり何かが違うんですよね。なぜだろうと考えていたら、ミチくんが言うには「マイクの距離じゃないか?」と。たとえばシンバルをマイクと録るときに、日本ではかなり近づけることが多いんですけど、ロチェスターは少しマイクを離して、「空気の震えを捉える」ような感じで録っているんですよね。
Yasei Collective『stateSment』を聴く(
Apple Musicはこちら)
斎藤 :全体を通してオープンな環境だったことは間違いないですね。スタジオはだだっ広いところにあったし、しょっちゅう人の出入りがあって。「何やってんの? 日本のバンドが来てるんでしょ?」みたいな感じで、地元のミュージシャンや仲間たちが覗きにくるんですよ(笑)。日本ではあり得ない光景でした。
Yasei Collectiveは10月5日の宇都宮studio baco公演を皮切りに全国ツアーがスタートし、11月24日の新代田LIVE HOUSE FEVERで行われるファイナル公演をもって、別所さんがバンド脱退することを発表しました。「けっしてネガティブな選択ではなく、それぞれがベストな道を進むための前向きな一歩だと思ってもらえたら」と斎藤さんもTwitterでコメントしています。
斎藤 :今後しばらくは、3人でやっていこうと思っているので、機材は増えるでしょうね。僕自身はキーボードを使いたいし、ドラムもパッドなど導入することになるかと思います。今まで同期演奏はしたことなかったんですけど、ルイス・コールのライブを観ていて「そういうのもアリかな」と思うようになって。映像を使うのも面白そうだなと思っています。
いずれにしても、「3人でこんなことやったら面白いかな」というイメージはいろいろ浮かんでくるので、それを具現化していけたらいいなと思っています。あくまでも僕らはライブバンドなので、そこもさらに追求していきたいですね。