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2018.10.24

堀込高樹(KIRINJI)「monologue & microKORG」インタビュー Powered by CINRA.NET

あの人の音楽が生まれる部屋 Vol.38 Powered by CINRA.NET
堀込高樹が振り返る、20年の歩みと変遷。キリンジとKIRINJIの違い

インタビュー・テキスト: 黒田隆憲  撮影:豊島望 編集:矢島由佳子
 


メジャーデビュー20周年を飾る、通算13枚目のアルバム『愛をあるだけ、すべて』を6月13日にリリースしたKIRINJI。そのメインボーカリストであり、ほぼすべての作詞作曲を務めるのが、堀込高樹さんです。

1998年に弟・泰行さんとの兄弟ユニット「キリンジ」でメジャーデビューを果たし、1960~70年代のポップミュージックをベースに様々な音楽的要素を取り込みながら、アルバムごとに変化を生み続けてきた高樹さん。2013年に泰行さんが抜け「KIRINJI」として再スタートを切ってからは、より「開かれた」活動を続けています。

そんな高樹さんの類い稀なるソングライティング能力は、どのようにして培われてきたのでしょうか。今回は、KIRINJIが愛用する都内のスタジオ「Bigfish Sounds」で話を伺いました。

こちらの記事はCINRA.NETでもお読み頂くことができます。

KIRINJI(きりんじ)

1996年10月、実兄弟である堀込高樹、堀込泰行の二人で「キリンジ」を結成。1997年CDデビュー。オリジナルアルバム10枚を発表。2013年4月12日をもって堀込泰行が脱退。兄弟時代17年の活動に終止符を打つ。以後、堀込高樹がバンド名義を継承、2013年夏、新メンバーに田村玄一/楠 均/千ヶ崎 学/コトリンゴ/弓木英梨乃を迎え、バンド編成の「KIRINJI」として夏フェス出演を皮切りに再始動。2014年は8月に通算11枚目となるアルバム『11』をリリース。2015年11月にはスペシャルアルバム『EXTRA 11』を発表するなど、バンドならではの新機軸を次々と打ち出した。2016年8月、2年ぶり通算12枚目となるニューアルバム『ネオ』を発表。グループ史上初の試みとなる外部アーティストとのコラボレーションナンバー『The Great Journey feat. RHYMESTER』をはじめ、新たなフェイズに突入したKIRINJIサウンドをいかんなく表現し絶賛を浴びた。12月に東京・大阪で開催した『KIRINJI LIVE 2017』をもってキーボードのコトリンゴが脱退。グループとしてまた新たな一歩を踏み出した。

「兄弟ユニット」としてデビューすることになったきっかけ
 

1969年に埼玉県で生まれた堀込高樹さん。父親が好きだったカントリーミュージックをはじめ、家のなかでは常に様々な音楽が流れていて、それらを聴いているうちに自然とアコースティックギターを弾き始めたり、貸レコード屋に通いつめたり、FMラジオをチェックするようになっていったそうです。

高樹 :中学生の頃、ちょうど洋楽ブームだったんですよね。たとえば当時の『おはスタ』は洋楽情報満載で、Culture ClubやDuran Duran、Panacheなんかを紹介しまくっていました。The Monkeesのテレビドラマ『ザ・モンキーズ・ショー』もちょっとしたブームになっていたんですけど、それも『おはスタ』が発祥だったんですよ。今の『おはスタ』からは想像もつかないでしょうけど(笑)。

 

堀込高樹

 

高校生になると、部活でバンドを始めた高樹さん。高2の頃にはオリジナル曲を作るようになりました。当時はDaryl Hall & John OatesやScritti Polittiなど、ブラックミュージックに影響を受けた音楽を好んで聴いていて、そういうテイストの曲を目指していたそうです。

高樹 :その頃はまだ、プロのミュージシャンになる気はまったくなかったですね。「なれたらいいな」とは思っていたけど、具体的にどうすればいいのかわからなかったですし。大学では音楽サークルに入ったけど、すぐに辞めてしまいました。大学3年生くらいから一生懸命曲を作るようになって、デモテープを友人に聴かせたり、レコード会社に送ったりしていたんです。でも、レコード会社からいい返事は全然なかった。

大学を卒業すると、ナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント及びバンダイナムコスタジオ)に就職し、ゲーム音楽制作を担当することになります。

高樹 :当時はシーケンサーも使えなかったから、カセットMTRに手弾きのシンセを重ねたデモを送って(笑)、それで採用されました。就職してもオリジナル曲は作っていて、その頃になるとレコード会社の人ともちょこちょこ会っていたんですけど、そこから先に話が進まなくて。で、3つ歳下の弟も曲を書いているのを知っていたから、それを一緒にパッケージして送ってみたんです。そうしたら、レコード会社の反応も変わってきて。それが、兄弟で「キリンジ」という名前でデビューすることにつながっていきました。

 

 


1997年のデビューから2013年まで、「キリンジ」としての音楽変遷を振り返る
 

堀込高樹、泰行による兄弟ユニット・キリンジは、1997年にシングル『キリンジ』でインディーズデビュー、翌年には『双子座グラフィティ』でメジャーデビューを果たします。そのタイミングで会社を辞め、本格的に音楽活動を開始。当時のプロデューサーは「冨田ラボ」こと冨田恵一さんで、彼の作り出すドリーミーでシンフォニックなアレンジが、初期キリンジのサウンドを決定づけます。

高樹 :レーベル(NATURAL FOUNDATION)から冨田さんを紹介してもらいました。当時すでにアレンジャーとして活躍されていましたから、「大先輩」という印象がありましたね。僕らのやりたいことを上手く引き出して、具現化してくれたのが冨田さん。彼や、当時のエンジニアのスタジオワークをそばで見ながら、いろんなことを勉強させてもらいました。

 

ビューシングル曲“双子座グラフィティ”

 


同年、1stアルバム『ペイパードライヴァーズミュージック』をリリースしたキリンジは、その後も順調に作品を作り続けます。主に1960~70年代のポップミュージックに影響を受けた初期のサウンドから、エレクトロやブラジル音楽、ポストパンクなど様々な要素を取り入れ、作品ごとに大きな変化・進化を遂げていきました。2005年には、泰行さんが「馬の骨」名義のソロ活動を開始し、高樹さんも本人名義で『Home Ground』をリリース。各々の音楽性はより深まる一方で、その違いも明確になっていきます。

 

キリンジ「Drifter」 - 堀込高樹作詞作曲(2001年発表)

キリンジ「エイリアンズ」 - 堀込泰行作詞作曲(2000年発表)

 


高樹 :当時は好きなことを、ただ好きにやっていた気がします。冨田さんと一緒に作った最後のアルバム『For Beautiful Human Life』(2003年)のあと、ブラジリアンやプログレッシブな曲が増えたけど、今思うとそれはリスナーとしての興味が移っただけな気がしますね。ただ、いわゆるシミュレーショニズム的な音楽の作り方を、いつまでも続けていていいのかな? という気持ちはありました。それもあって、次のアルバム『DODECAGON』(2006年)はセルフプロデュースで作ったのだと思います。自分のソロアルバムは、そのための習作だったのかもしれない。

 

 


「『BUOYANCY』(2010年)は意欲的に作ったアルバム」と振り返る高樹さん。自身のソングライティングスタイルも変わり、デビュー当時呼ばれていた「遅れてきた渋谷系」など、「~風」とは形容できない楽曲がたくさん生まれました。翌年には震災が起こり、それを受けてキリンジは配信限定のシングル(“あたらしい友だち”)をリリースします。スタイルを変化させつつも常にポップソングを作り続けてきた高樹さんにとって、音楽とはなにかを単刀直入に訊いてみました。

高樹 :「気晴らし」と言ったら語弊があるかも知れないですが、僕が音楽を聴いて得ているのは「気持ちが晴れる」ということ。それは、明るい曲でも暗い曲でも同じで。音楽を聴いて「暗い気持ちになる」というのも、そういう感情に浸るという意味ではひとつのエンターテイメントだと思うんです。明るい曲を聴いて気分が上がるのと同じ。そういう、なにがしかのカタルシスが得られる音楽を求めているからこそ、自分が作る音楽もそうであってほしいと思っていますね。

 

堀込高樹にとって、「キリンジ」と「KIRINJI」に向かう姿勢はどう違う?
 

2013年4月、弟・泰行さんがキリンジを脱退。数か月後には、新メンバー5人(楠均さん、千ヶ崎学さん、田村玄一さん、弓木英梨乃さん、コトリンゴさん)を迎えた6人編成のバンドとして、KIRINJIが再始動することが発表されました。

高樹 :兄弟ユニットのときは、箱庭的で内向きな印象があったと思うんですね。同世代のミュージシャンと交流がたくさんあったわけでもないし。だから次は、いろんな人が出入りしやすいというか、「ひとつの強い個性があって、それを中心に人が集まっている」という感じではなく、しっかりとした個性のある人たちが集まった形にしたかったんです。

 

 


新生KIRINJIは2014年に『11』、2016年に『ネオ』をリリース。弓木さんやコトリンゴさんがリードボーカルを取ったり、RHYMESTERと本格的なコラボを行ったりと、これまでとは一変して「開かれたバンド」になっていきます。

 

KIRINJI「The Great Journey feat. RHYMESTER」

 


とはいえ2人から6人と大幅にメンバーが増え、バンドを維持していくことは、高樹さんにとって大変ではなかったのでしょうか。

高樹 :バンドだと「次になにをするか?」を常に考えなければならないのが、ユニットと違うところなんですね。2人のときは、お互いに曲を持ち寄って、「これはいい」「あれはよくない」と言いながら作っていくだけで(笑)。「キリンジ」の頃は、過去の自分よりもいい曲を書きたいという「自分との戦い」だけだったんですけど、今のKIRINJIでは「世間」に対してどう対峙するかを意識するようになりました。「今、世の中にはこういう音楽が溢れていて、日本の音楽シーンはこんな感じ。そこに対して自分たちは、どういう音楽を投げかけるか?」というところに気持ちが向いているんですよね。

それは高樹さんにとって、とても大きな変化だったのではないでしょうか。バンドというひとつの「社会」を作ったからこそ、外の社会と向き合うようになった。

高樹 :そうだと思います。曲を次々と書けるようになったのも、バンドになって可能性が広がったからでしょうね。新しいことを常にやりたくなるし、自分のなかで手垢がついたようなことでも、他人が歌ったり、演奏したりすることで新しくなるわけですから。「いくらでもなんでもできるな」という気持ちになっています。

 


 

歌詞がストレートになった最新作。どんな心境変化があった?
 

さて、そんなKIRINJIの最新作『愛をあるだけ、すべて』は、昨年いっぱいでコトリンゴさんがバンドを抜け、5人編成で作った初めてのアルバム。これまで以上にリズム隊がフィーチャーされ、バンドアンサンブルにエレクトロな要素を融合したチャレンジングな楽曲が並んでいます。

高樹 :まずは“AIの逃避行 feat. Charisma.com”ができたのですが、その時点で「ダンスミュージック的なアプローチを生演奏で行う」という方向に今回のレコーディングは進んでいくだろうなと思いました。“時間がない”が決定的でしたね。キックだけ先に録ってからスネアとハットを重ね、ベースとギターはそれぞれ別々に録ったり。そういう曲がいくつかあって、本作のムードを支配している気がします。

“AIの逃避行 feat. Charisma.com”は前半が歌、後半がいつかさん(Charisma.com)のラップ。ラップが入った瞬間にグルーヴが増して面白くなったんです。僕自身はヒップホップのシーンからは遠いところにいるけれど、ひとつの歌唱スタイルとしてラップはすごく面白いと思っています。打楽器的な要素もあるし、言葉もたくさん詰め込めるし。下手なソロを入れるくらいなら、ラップを入れたほうがかっこいいですよね。

 

KIRINJI「AIの逃避行 feat. Charisma.com」

KIRINJI「時間がない」Teaser

 


歌詞も、手の込んだ比喩や暗喩を散りばめていたこれまでの楽曲に比べると、ストレートで感情的なものが増えています。言葉のチョイスも、“悪夢を見るチーズ”の<ヤバみ感じる>や“非ゼロ和ゲーム”の<ぐぐれよ>など、これまでの高樹さんからすると意外な印象も……。

高樹 :今回は、サビのメロディーが長いフレーズではなく、短いフレーズの繰り返しが多いので、文章を乗せていくというよりも、単語を乗せていく感じになったんですよね。そうすると、より直接的だったり、感情的だったりするというか。“明日こそは”や“silver girl”は特にそうで、結果的にストーリーを描く歌詞が、割合としては減りました。ダンスっぽい曲が多いので、そういう曲にややこしい歌詞を乗せても、聴く側にダイレクトに届かないと思ったんです。

「ぐぐれよ」という言葉はもう一般的になってきているというか、むしろ使われなくなってきていますよね。なのであえて入れてみました。「ヤバみ感じる」はちょっとかわいい感じがしませんか?(笑) 僕は「ワロタ」って言葉が嘲笑っぽくて嫌いで、「KIRINJI6人になった、ワロタ」とか言われたら「うるせーばか!」って思うけど、「兄の歌、ヤバみ感じる」って言われたらちょっと嬉しいかもしれない(笑)。

 

 


今年でメジャーデビュー20周年を迎えたKIRINJI。今後の抱負について訊きました。

高樹 :新しい音楽スタイルを、どこまで自分のなかに取り込めるかを今後も試していきたいですね。自分のソングライティングの、根幹の部分はずっと変わらない気がしていて、それと相性のいい新しいスタイルを常に探っていくことになるんじゃないかなと思います。そうやって、新しい音楽と古い音楽を行き来しながら、ずっと曲を作り続けられたらいいですね。