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2017.11.17

丈青(SOIL&"PIMP"SESSIONS)「Grandstage」インタビュー Powered by CINRA.NET

あの人の音楽が生まれる部屋 Vol.35 Powered by CINRA.NET
SOIL&"PIMP"SESSIONS・丈青に訊く、手の怪我はもう大丈夫?

インタビュー・テキスト: 黒田隆憲  撮影:豊島望 編集:矢島由佳子
 


ジャズバンド・SOIL&"PIMP"SESSIONSのキーボーディストであり、ピアノトリオ・J.A.Mのリーダーでもあり、さらにはソロピアニストとしてクラシックからロック、ブラックミュージック、現代音楽まで縦断する名うての鍵盤伴奏者、丈青さん。国内はもちろん、海外のミュージシャンとも数多くのセッションをこなし、2017年7月からはテレビドラマ『ハロー張りネズミ』(TBS系)の劇伴をSOIL&"PIMP"SESSIONS名義で務め、野田洋次郎(RADWIMPS)さんをフィーチャーした主題歌“ユメマカセ”を手がけるなど、お茶の間にもその名を轟かせています。

2017年4月には右手薬指を負傷し、伸筋腱断裂・化膿性腱鞘炎と診断された彼は、過酷なリハビリをどのような気持ちで乗り越えてきたのでしょうか。休養期間中のリハビリでも、普段のリハーサルでも利用しているという「セオリスタジオ」を訪ね、音楽に対する真摯な思いなどをたっぷりと訊いてきました。

こちらの記事はCINRA.NETでもお読み頂くことができます。

SOIL&"PIMP"SESSIONS(そいる あんど ぴんぷ せっしょんず)

2001年、東京のクラブイベントで知り合ったミュージシャンが集まり結成。メンバーは、タブゾンビ(Tp)、丈青(Pf)、秋田ゴールドマン(Ba)、みどりん(Dr)、社長(Agitator)。ライブを中心とした活動を身上とし、確かな演奏力とクールな雰囲気をただよわせながらも、ラフでエンターテイメント、バースト寸前の爆音ジャズを展開。2005年には英BBC RADIO1主催の『WORLDWIDE AWARDS 2005』で「John Peel Play More Jazz Award」を受賞。以降、海外での作品リリースや世界最大級のフェスティバル『グラストンベリー』、『モントルージャズフェスティバル』『ノースシージャズフェスティバル』など、数々のビッグフェスに出演、これまでに28か国で公演を行うなど、ワールドワイドに活動を続けている。丈青をリーダーに、ベースの秋田ゴールドマン、ドラムのみどりんを加えた3人によるピアノトリオ・J.A.Mとしても活動中。
 

ピアノを「猛練習した」という意識は、未だに持ったことがない
 

広島県広島市出身の丈青さんは、3歳の頃からピアノに興味を持ち、クラシックピアノを習い始めました。ジャズボーカリストである母、佐藤いよりさんの影響で、幼い頃からジャズはもちろん、ロックやソウルのレコードが常に流れる環境で育ったそうです。

丈青 :「家にあったグランドピアノの鍵盤を、背伸びしながら叩いていたらしいんです、「ポン、ポン」って。それで母が「ピアノを弾きたいの?」と尋ねたところ、「弾きたい」と言ったらしくて。なので、自分からやりたくて始めたということなんでしょうね。

 

丈青

 


小学生の頃はバッハやバルトーク、ハチャトゥリアンなどの楽曲が好きだったという丈青さん。小3の頃、テレビCMに出演していたスティーヴィー・ワンダーとSTINGの歌を聴き、洋楽にのめりこみます。

丈青 :「ピアノの先生がすごくいい先生だったんです。練習曲を教材に載ってる順に弾くのではなく、好きな曲を自由に弾かせてくれました。小学校低学年の頃にはすでに自分で曲作りもしていたので、それを持って行って聴いてもらっていたみたいですね、あんまり覚えてないんですが。

母親にはよく「ちゃんと練習しなさい!」って言われてましたけど、構わず外で遊んでいた記憶があります。その代わり、夢中になると何時間も没頭して弾きまくるみたいな、そんな子供時代を過ごしました。ピアノを「猛練習した」とか「嫌々訓練した」という記憶はないし、そういうものは必要ないんだって、未だに思いますね」

そんな丈青さんが、本格的にジャズピアニストとしての道を歩むと決意したのは1997年、22歳のとき。ほどなくして鈴木勲のバンドに参加すると、それを機に注目を集めるようになります。

丈青 :「ジャズを始めたきっかけは、ニューヨークに住んでいる友達のところへ遊びに行ったときに、本場のジャズライブを観たことでした。「地元で食べる料理は美味しい」と言いますが、有名なジャズのライブハウスで、黒人ばかりが演奏するジャズはもう「本気の演奏」なんですよ。ファンクのライブにも行って、Graham Central Station(Sly & The Family Stoneのベーシストであるラリー・グラハムが率いるバンド)を観たのですが、ぶっ飛びましたね。「音楽でやっていきたい」と、強く思うきっかけになりました」

 



世界で活動する丈青だから知る、日本人が「できること」と「できないこと」
 

2003年、SOIL&"PIMP"SESSIONS(以下、SOIL)に加入した丈青さん。翌年、1st アルバム『PIMPIN'』でメジャーデビューを果たします。

丈青 :「タブ(タブゾンビ)から電話がかかってきて、「フェラーリに乗りたくないか?」と言われて、SOILに誘われたのは有名なエピソードになっていますね(笑)。とりあえずリハーサルに行ってみたら、すごく楽しかったんですよ。ジャズとロック、激しさと切なさなど、まったく違う要素を融合させるというコンセプトにも惹かれたし、「このメンツだったら面白いことができるな」と思えたんです」

 

左から:みどりん、秋田ゴールドマン、社長、タブゾンビ、丈青

 

丈青のキーボードスタンド

 


2007年には、イギリスで開催される世界最高峰の音楽フェス『グラストンベリーフェスティバル』に初出演。日本人アーティストとしては、コーネリアス、東京スカパラダイスオーケストラに続く快挙を成し遂げました。彼らの音楽が、海外でも認められたのはなぜだったのでしょうか。

 

2009年、8回目のヨーロッパツアーの様子



丈青 :「SOILは、ロックでもなければ、ジャズでもファンクでもない。それらすべてを取り込みつつ、絶妙な配合でブレンドしているところが、日本人ならではのセンスなのかなと思います。僕はニューヨークで本場のジャズを聴いたとき、その圧倒的なリズム感、グルーヴを浴びて、「これは日本人にないものだ」って思ったんですよね。どうやっても勝ち目はないなと(笑)。

だけど、「僕ら日本人ならではのセンスを駆使して挑めば勝算があるんじゃないか?」って思えたんです。だから、あえて日本にいながら世界で仕事がしたいと思いました。日本人にしかできないことをやるべきだし、日本のオーディエンスも、海外のオーディエンスも、それを求めているということを確信したんですよね」

 

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