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2017.01.27

フレンズ「microKORG S & nanoKEY Studio」インタビュー Powered by CINRA.NET

あの人の音楽が生まれる部屋 Vol.31 Powered by CINRA.NET
観た者を幸せにできるフレンズ。秘訣は、やりたいことは全てやる

インタビュー・テキスト: 黒田隆憲  撮影:豊島望 編集:山元翔一
 

渋谷系ならぬ「神泉系」をテーマに活動する5人組バンド、フレンズ。2016年5月に1stミニアルバム『ショー・チューン』をリリースし、男女ツインボーカルによるポップでキャッチーなメロディーと、シティポップやAORを消化した風通しのいいアレンジが、音楽好きの間で話題沸騰中です。

メンバーは、長島涼平さんをはじめ、ひろせひろせさん、おかもとえみさん、三浦太郎さん、そしてSEKIGUCHI LOUIEさん。全員が別のバンドでデビュー経験を持っていることも、フレンズの大きな特徴の1つであり強みといえるでしょう。「1人1バンド」にこだわらない、自由な活動形態はバンドにどのような影響をもたらしているのでしょうか。彼らが拠点とする東京・神泉のスタジオを訪ね、おかもとさんとひろせさんに話を聞きました。

こちらの記事はCINRA.NETでもお読み頂くことができます。

フレンズ

2015年6月8日、おかもとえみ、ひろせひろせ、長島涼平、SEKIGUCHI LOUIE、takeにより結成。2016年2月takeと三浦太郎がバトンタッチ、現在のメンバーとなる。渋谷系ならぬ「神泉系」をテーマに発信する男女混成5人組。2016年5月25日、ファースト・ミニアルバム『ショー・チューン』を発表。同年11月3日、ワンコインシングル『ビビビ』をリリースした。

「将来なりたいものは『音楽』」。幼いころから音楽に夢中だったひろせとおかもと
 
フレンズの中で、ソングライティングの中核を担っているのが、おかもとえみさんとひろせひろせさんです。東京出身の2人は幼いころから音楽が好きで、とりわけJ-POPに夢中になっていました。

おかもと(Vo) : 父がイラストレーターだったため、アニメや特撮などの作品が家にたくさんありました。父が持っていた『魔法使いサリー』のDVD BOXセットをよく見ていましたね。“魔法のマンボ”という挿入歌が大好きで、自分のリズム感の基礎になっているような気がします。

あとは、ポケットビスケッツ(日本テレビ系『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から誕生した音楽ユニット。内村光良、千秋、ウド鈴木による3人組)や野猿(フジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげでした』から生まれた音楽ユニット。とんねるずと番組のスタッフから構成)のような、テレビ番組の企画で生まれたグループが大好きだったのと、SPEEDのメンバーになりたくてダンスを始めたくらい、彼女たちに夢中でした。中学生になったら、当然ダンス部に入るつもりだったんですが、部の先輩たちが怖すぎて……(笑)。それで軽音楽部に入部したのが、バンドを始めたきっかけですね。

 

おかもとえみ



ひろせ(Key) : 保育園の卒園アルバムの「将来なりたいもの」を書く欄に、大きく「音楽」って書くくらい音楽が好きでした(笑)。小学生のころは劇団に所属していたのですが、『さわやか3組』(NHK教育テレビで放映されていた小学生向けの教育ドラマ)にも出ていて、その稽古のために渋谷へ行くと、CDシングルを買ってもらうのがすごく楽しみだったんです。PUFFYの吉村由美さんの“V・A・C・A・T・I・O・N”(1997年)や、Le Coupleの“ひだまりの詩”(1997年)など、大好きだったのを覚えています。

小学校5年生くらいのときに「アカペラブーム」が訪れて、それがきっかけで楽曲のハーモニーがどうなっているのかを調べたり、それを譜面ソフトに打ち込んで再現してみたりすることに夢中になって。当時やっていたことが、DTM(パソコンを使った音楽制作)の始まりだったと思いますね。

 

ひろせひろせ




ひろせの誕生日会を機にゆるやかに始動したという、フレンズの結成裏話
 
幼いころから音楽に慣れ親しんでいた2人は、10代半ばにはすでにオリジナル曲を作るようになっていました。その後、おかもとさんはTHEラブ人間のベーシストとして、ひろせさんは3ピースバンド・nicotenのベーシストとして、メジャーデビューを果たし、精力的に音楽活動を開始します。

ひろせ : えみそん(おかもとの愛称)とちゃんと話したり、遊んだりするようになったのは、飲みの席がきっかけでした。僕ら1990年生まれなんですが、OKAMOTO'Sのハマ・オカモトくんや、ねごとの沙田瑞紀ちゃん、黒猫チェルシーの澤竜次くんとか、同い歳のミュージシャンが多いんですよ。それで「たまに飲もうよ」ってことで、「平成2年会」を一時期よく開いていました。当時、僕はあまりお酒の飲み方がキレイではなくて、今でもこんなに仲よくしてもらえているのが奇跡なくらい何回も迷惑をかけてるんです(笑)。しかも「フレンズ」っていう名前のバンドをやっているんだから不思議ですよね。 当時は同じベーシストだからパートも被るし、えみそんと一緒にバンドをやるなんて想像もしてませんでした。ただ、一緒にカラオケに行ったとき、初めてえみそんが歌っているのを聴いて、すげえ上手くて驚いたんです。

 


そのとき、自分が書いた曲をおかもとさんに歌ってほしいという気持ちが芽生えたひろせさん。最初は軽い気持ちで共同作業をもちかけました。

ひろせ : 「これからは『渋谷系』じゃなくて『神泉系』でしょ」みたいな話をしました(笑)。僕が作った曲を渡したら、えみそんがすごくいい歌詞をあっという間に仕上げてくれたので、早速メロディーをつけて。そうやって完成したのが、フレンズのデビュー曲にもなった“ベッドサイドミュージック”だったんですよ。

おかもと : 最初は発表するつもりもなくて、「土岐麻子さんに歌ってもらえたら嬉しいね」なんて言いながら作っていました。2人で曲をたくさん作って、コンペなどにもどんどん出していけたらいいね、って。

 
 

それぞれにキャリアを積んできたメンバーが「表舞台に出るために一致団結!」というノリでは全くなくて、気の合う仲間同士で自然発生的に生まれたのがフレンズだったのです。

ひろせ : ベーシストが集まる飲み会で長島涼平さんと出会って遊ぶようになって。「えみそんって、めちゃ歌上手いの知ってますか?」って言って“ベッドサイドミュージック”のデモ音源を渡したんですよ。そしたらある日、長島さんから「この前の“ベッドサイドミュージック”を演奏してみない?」って話になったんです。

おかもと : ただ、それも最初は本気ではなくて、企画っぽいノリなのかなと思っていました。なので、ひろせくんの誕生日会がバンドの初のお披露目だったんです。私自身もソロ活動を始める前で、楽器を持たずに歌うことなんて初めてだったし、メンバーはみんな友達だし、「楽しいな」くらいの感じでスタートしたんですよね。