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2019.02.14

和田唱(TRICERATOPS)「SV-1 Black」インタビュー Powered by CINRA.NET

あの人の音楽が生まれる部屋 Vol.40 Powered by CINRA.NET
和田唱が明かす、TRICERATOPS結成時の劣等感やソロ開始の理由

インタビュー・テキスト: 黒田隆憲  撮影:豊島望 編集:矢島由佳子
 


昨年メジャーデビュー20周年を迎えたTRICERATOPS。そのボーカリストでありメインコンポーザーの和田唱さんが、10月24日に、満を持しての1stソロアルバム『地球 宇宙 僕の部屋』をリリースしました。3ピースによるロックンロールサウンドが特徴のTRICERATOPSとは一味違うメロウでアコースティックなサウンド、彼がフェイバリットに挙げるポール・マッカートニーやマイケル・ジャクソン辺りを彷彿とさせる美しいメロディー、そして42歳の等身大を歌った歌詞の世界が心にしみます。

ソロ活動を始めたのは、一体どのような想いからだったのでしょうか。ギターを始めたきっかけにも、TRICERATOPS結成の裏にも、深いコンプレックスがあったという彼が、これまでの40年間を赤裸々に振り返ってくれました。

こちらの記事はCINRA.NETでもお読み頂くことができます。

和田唱(わだ しょう)

1975年東京生まれ。TRICERATOPSのボーカル、ギター、作詞作曲も担当。ポジティブなリリックとリフを基調とした楽曲、良質なメロディセンスとライブで培った圧倒的な演奏力が、幅広い層から大きな評価を集める。アーティストからのリスペクトも多数。SMAP、藤井フミヤ、松たか子、Kis-My-Ft2、SCANDALなどへの作品提供も多い。2018年はソロ活動を開始。10月24日には1stアルバム『地球 東京 僕の部屋』をリリース、11月から全国ソロツアーをスタートする。

5歳の和田唱がアルバムジャケットに。撮影者は篠山紀信
 

1stソロアルバム『地球 東京 僕の家』のジャケットに使用されているのはなんと、5歳の和田唱さんご自身のポートレイト。しかも撮影したのは、かの篠山紀信さん。和田さんは、当時どんな少年で、これは一体どのような経緯で撮影されたものだったのでしょうか。

 

和田唱『地球 東京 僕の家』ジャケット

 


和田 :実は、篠山さんは僕の父(イラストレーターの和田誠さん)の後輩にあたるんです。後に独立することになるのですが、2人とも「ライトパブリシティ」という広告制作会社に勤めていたんですよ。僕が生まれたばかりのときや、折に触れ記念写真やスナップ写真をプライベートで撮ってくれていたんです。

この写真もそのうちの1枚で、大きめに現像してくれていたものがずっと実家にあって。ちょうどソロアルバムのジャケットをどんなふうにしようか考えていたときにこれを見て、「あ、これかも!」って。

僕が持っているこの「くるくるてれび」はよく覚えていますね。覗くと『仮面ライダー』や『ウルトラマン』の短いフィルム動画が見られるおもちゃで、1980年代頭の頃まで売っていたんですよ。僕はそれが大好きだったんですよね。

 

和田唱

 


1975年生まれの和田さんは、物心がついた頃から音楽が大好きでした。当時、大流行していたピンク・レディーがテレビに出て歌っていたり、戦隊ヒーローものの主題歌やエンディングテーマが流れたりすると、いつも一緒に歌っていたそうです。戦隊ヒーローものはとにかく大好きで、『太陽戦隊サンバルカン』など新番組がスタートすると、父親と下北沢のレコードショップへ行ってレコードを買ってもらうのが恒例になっていました。

和田 :最初に習った楽器はピアノでした。特に弾きたくもなかったんだけど、母親に無理やり習わされて(笑)。小学生の頃は本当に忙しかったんですよ、ピアノやスイミングスクール……他にもなんだか色々と習い事をさせられていました(笑)。

なかでもピアノはつらかったですね。譜面を見ながら演奏するのが大の苦手で、練習曲を繰り返し弾かされるのは苦痛でしかなかった。よく居残りさせられていましたよ(笑)。ただ、高校生になってThe Beatlesに夢中になり、“Hey Jude”や“Lady Madonna”などをピアノでコピーしようと思ったときに、あの頃の経験が役に立ったから、今思えばやっておいてよかったなと思いますね。

 

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初めて行ったコンサートは、マイケル・ジャクソンの来日公演
 

そんな和田さんが、マイケル・ジャクソンと出会ったのは小学5年生の頃。彼のニューアルバム『Bad』(1987年)がリリースされる直前で、遡ること4年半前のアルバム『Thriller』(1982年)が未だに世界中でロングヒットを記録し続け、日本でもテレビをつければマイケルのミュージックビデオがしょっちゅう流れていたときです。それを目にした和田少年は、マイケルに夢中になります。ビデオ『Making Michael Jackson's Thriller』(1983年)を繰り返し鑑賞し、マイケル主演のアトラクション「キャプテンEO」を観に東京ディズニーランドにも行きました。そして1987年、横浜スタジアムで開催されたマイケルの来日公演を目撃します。

和田 :あまりの爆音にびっくりしちゃって。ああいったコンサートへ行くのも生まれて初めてだったし、しかもスタジアム公演だったわけですから。重低音が体に振動するじゃないですか。「え、こんなに音が大きくて大丈夫?」と思って怖くなりました(笑)。あと、椅子が用意されているのに場内が暗転した瞬間、みんな総立ちになって。「椅子の意味ないじゃん!」って思ったのを覚えています(笑)。とにかく、すべてがショッキングだったんですけど、ステージに立ってコンサートをやることへの憧れは、あのときに固まった気がします。

 

 


それからは「マイケル・ジャクソン一筋」になった和田さん。中学に入ってThe Beatlesに夢中になったのも、もともとはマイケルがきっかけでした。彼が主演、原案、製作総指揮を務めるミュージカル映画『Moonwalker』(1988年)を父親と観に行ったとき、「マイケル博士」だった和田少年の知らない楽曲が最後に流れました。あとから父親に聞いて、それがThe Beatles “Come Together”だと知ります。「あのマイケルがカバーするThe Beatlesってどんなバンドなんだ?」と俄然興味を持ち、The Beatlesの魅力にハマっていくことに。

和田 :The Beatlesすげえ! って大興奮しましたね(笑)。ただ、ギターを始めたのはThe Beatlesが直接の原因ではなかったんですよ。むしろ、最初は「ケッ、ギターなんて……」と思っていました。

というのも、当時バンドとかをやっていたのはクラスの「イケてる連中」で。サッカー部に入ってて、ギターまで弾いて、女の子にキャーキャー言われていて……っていう。当時、背も低く、子どもっぽかったことをコンプレックスに感じていた僕としては、まったくもって気に食わないわけです。でも、「ギター楽しそうだな」という気持ちには抗えなくて。「ギターが弾けるようになったら俺も、あいつらみたいにモテるんじゃないか?」という気持ちもあったんでしょうね。気づけばギターをこっそり買い、家で練習するようになっていました(笑)。

 

 


当時、The BeatlesとTHE ROLLING STONESに夢中だった和田さん。またもや絶好のタイミングで、ポール・マッカートニーとTHE ROLLING STONESの来日公演が開催されました。1990年、和田さんが15歳になる年です。当然、ギターのお手本はThe BeatlesとTHE ROLLING STONESに。相変わらず譜面を見るのが苦手だった彼は、耳コピでレパートリーを増やしていきました。TRICERATOPSのヒネくれたコード進行はThe Beatlesの、印象的なギターリフはTHE ROLLING STONESの影響にあるのは、このときの経験があったからではないでしょうか。

和田 :まさにそうです。それと、ギターリフで言えばマイケルの影響も当然ありますね。彼の曲ってかっこいいリフの宝庫なんですよ、“Thriller”や“Beat It”しかり、“Bad”しかり……そこに、僕の等身大の歌詞を乗せることで、等身大のロックンロールを鳴らす。それがTRICERATOPSのコンセプトです。

 

今だから素直に話せる、デビュー当時のコンプレックス
 

TRICERATOPSの結成は1995年。当時20歳だった和田さんは、「メンバー募集」を介して知り合った林幸治さん(ベース)と曲作りをするようになり、スタジオミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせたばかりだった吉田佳史さん(ドラム)が後に加入したことで、本格的に活動がスタートします。

和田 :バンドって、学校の友達や幼馴染と組んで、喧嘩したり仲直りしたりしながら成長してくものだと思っていたんですよ。だけどTRICERATOPSって、人の紹介などで知り合って、周りにも恵まれていたからわりと早い段階でデビューが決まって……そういう状態に、俺はずっと負い目みたいなものを感じていたんですよね。「ロックじゃねえ」って。もちろん、やっている音楽に対する自信はものすごくあったし、メンバーやスタッフのことは信頼していたんですけど、それ故になんとも言えないモヤモヤがしばらくは続いていました。

 

 


1997年7月21日にシングル『Raspberry』でメジャーデビュー。2年後には3rdアルバム『A FILM ABOUT THE BLUES』を引っ下げ、初の武道館公演も行います。

 


TRICERATOPSメジャーデビュー曲“Raspberry”を聴く Apple Musicはこちら

 

和田 :あれよあれよという間に、武道館まで決まっちゃって。正直、「まだ早いよ!」と思っていました。他のバンドはみんな、下積みを積み重ねてようやく辿り着ける場所に、こんな早く立ってしまっていいのか? って。

だから、そのあとは「名実ともにロックバンドになろう」って覚悟を決めて、必死で頑張りました。自分たちの恵まれた境遇と、本当の実力の差……ギャップを埋めてやろうって。ライブにムラがなくなってきたのは、2000年代に入ってからだと思います。そういう意味では、1999年の武道館初公演が最初のターニングポイントでした。

赤の他人だった3人でバンドを組んで、一度もメンバーチェンジをしたことなく20年間も続けてこられたわけだから、つくづく不思議な縁だと思う。もちろん、喧嘩や仲違いも経験したけど今は「家族」みたいなものだし、「出会い方」なんて、実は関係ないのかもしれないですね。

 

 

TRICERATOPS
 

 


強いロックバンドであり続けるために。メンバーそれぞれの活動に注力する期間へ
 

昨年でメジャーデビュー20周年を迎えたTRICERATOPSの活動は一旦止めて、それぞれのプロジェクトに集中する期間を設けることに決めた3人。このタイミングでソロデビューを決めた和田さんの心境は、どのようなものだったのでしょうか。

和田 :20代の頃のライブ映像を見ると、みんな目がギラついてるんですよ。「舐められてたまるか」という気迫を感じるというか。結成時のコンプレックスの反動もきっとあったんでしょうね。3人とも「いい顔」をしているし、一丸となっているんですよ。

でもそれって、持続するのは難しいんです。全員が20歳の頃のようにバンドに夢を見続けるなんて不可能に近い。だけど「ロックバンド」を続けるのであれば、それが必要なんですよ。

いつまでも3人一丸となって突き進んでいくためには、一体どうすればいいのか。年に2回ルーティンのようにツアーをやっているだけではダメなのではないか。それは単に、TRICERATOPSという「恐竜」に餌を与えて生命だけ維持させているのと一緒じゃないか、「ただ生きている」というだけじゃないのか。この数年、和田さんはずっとそのことを考えていました。

 

 


和田 :TRICERATOPSの素晴らしさ、大切さを、俺も含めて3人全員が気づく必要がある。そのためには、一旦バンドの活動を止めて、それぞれがまだ行ったことのない世界へ身を投じる必要があるんじゃないかと思い、話し合いました。

「TRICERATOPS」という後ろ盾を取っ払い、喜びも悲しみもダイレクトに味わったほうがいいなとも思ったんです。僕はソングライターでありボーカリストでもある分、賞賛も批判も他の2人よりはダイレクトに受け止めやすい。「TRICERATOPS? 声が好きじゃないんだよね」と言われたら俺のことだし、「TRICERATOPS、歌詞がすごくいいよね」と言われても俺のこと。傷つくし、喜びもある。仕方ないことだけど、できるだけ全員がその気持ちを味わったほうがいい。そのほうがいろんな意味で強くなります。どんな方法でもいいから、2人にも世間に「自分」を表現してほしいんです。それで再び集まったときには、きっと「最強の3人」になれると俺は信じているんです。

実は和田さんは、バンドを休止してすぐにソロ活動を始めるつもりではなかったと言います。むしろ、楽曲提供やプロデュースなど、裏方に回ってみるつもりでいました。

和田 :でも、いざバンドを止めてみたら俄然ソロアルバムをやりたくなったんですよね。これは、活動を止めてみなければわからないことでした。実は、TRICERATOPSの新曲がなかなかできない期間がしばらく続いていたんですけど、ソロモードに切り替えると歌詞も曲もできてきて、そのなかでTRICERATOPSのためのシングル曲も生まれてきたりして。だから、「絶対にいいアルバムを作るぞ!」って自分に言い聞かせていました。

 

 


ソロアルバムの内容は、至極パーソナルなものに
 

そうして完成したソロアルバム『地球 東京 僕の家』。作詞作曲はもちろん、ストリングスを除く楽器演奏もすべて和田さんが1人で行いました。

和田 :The Beatlesを解散したポール・マッカートニーも、最初は1人でソロアルバムを作ったじゃないですか。ポールをずっと追いかけてきた身としては、そこは見習うべきだろうと。ただ、ポールの1stソロはインストが多くて寂しかったので(笑)、そこはすべて歌モノにして。どれもシングルを狙えるくらい、粒ぞろいのいい曲にすることを目指しました。

 

 


The Beatlesはもちろん、マイケル・ジャクソンへのオマージュも随所に散りばめたサウンドは、和田唱ワールド全開。歌っている内容は、自分のなかに潜む負の感情に向き合った“矛盾”や“アクマノスミカ”、愛する家族を持った喜びを素直に綴る“Home”など、TRICERATOPSの楽曲よりもパーソナルなものになっています。

和田 :結婚したことも、きっと大きいでしょうね。確固たる自分の居場所ができたことで、歌詞にも芯のようなものができた気がします。曲調も、確かにTRICERATOPSとは違いますね。エレキギターをあまりフィーチャーしてなくて、アコースティックギターをメインにしたり、シンプルな循環コードのなかでメロディーを展開させたりする曲が多い。TRICERATOPSでは、ファンが求めている「ギターリフが鳴って躍れる曲」を意識しますけど、ソロではそこから自由になった気がします。今はそれがすごく楽しいんです。