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2018.02.20

西寺郷太(NONA REEVES)「KROSS」インタビュー Powered by CINRA.NET

あの人の音楽が生まれる部屋 Vol.36 Powered by CINRA.NET
西寺郷太がプライベートスタジオで語る、NONA REEVESの20年

インタビュー・テキスト: 黒田隆憲  撮影:豊島望  編集:山元翔一
 


ソウルミュージックと白人ポップスを融合させた「ポップン・ソウル」を追求し、デビューから20年もの間シーンの最前線で活躍し続けているNONA REEVES。今年10月、彼らの15枚目のアルバム『MISSION』がリリースされました。西寺郷太さん、奥田健介さんという二人のソングライターの才能が拮抗した楽曲、小松シゲルさんのグルーヴ感溢れるドラムと融合した高密度なサウンドプロダクションを堪能できる本作。NONA REEVESが紛れもなく「バンド」であることを証明した重要なアルバムと言えるでしょう。

そのバンドのフロントマンであり、他アーティストのプロデュースや楽曲提供、さらには「1980年代ポップス研究家」としても執筆活動も積極的に行なっているのが西寺郷太さん。もともとは彼のソロプロジェクトとしてスタートしたNONA REEVESは、一体どのような試行錯誤を経て現在の姿になっていったのでしょうか。彼のプライベートスタジオである「ゴータウン・スタジオ」に潜入しました。
こちらの記事はCINRA.NETでもお読み頂くことができます。

NONA REEVES(のーな りーゔす)

1995年5月、西寺郷太が「ノーナ・リーヴス」名義での活動を開始。ほどなく早稲田大学で同じ音楽サークルに所属していた小松シゲル、奥田健介が加入。1997年11月、ワーナーミュージック・ジャパンからメジャー・デビュー。ソウル、ファンク、80'sポップスなどに影響を受けた独自の音楽スタイルで、確かな支持を集めてきた。現在ではメンバーそれぞれがバンド外でも活躍。西寺郷太は音楽プロデューサー、作詞作曲家、執筆、MCとして。奥田健介は作曲家、及びレキシやCoccoなどのギタリストとして。小松シゲルは佐野元春、YUKI、オリジナル・ラブなどのサポート・ドラマーとして活動。メジャー・デビュー20周年を迎えた2017年、古巣ワーナーミュージック・ジャパンに復帰。3月にベスト・アルバム『POP'N SOUL 20~The Very Best of NONA REEVES~』を発表。10月25日に、15枚目のオリジナル・アルバムにして最高傑作『MISSION』をリリースした。
 

マイケルやプリンスに胸を躍らせた、西寺の早熟な幼少時代
 

京都出身の西寺さんは、とにかく音楽が好きな子どもでした。保育園の頃からピンク・レディーや都はるみなど、歌番組で流れた曲を覚えては友達の前で歌ってみせていたそう。初めて自分から「欲しい」と親に言って買ってもらったレコードは、田原俊彦『グッドラックLOVE』(1981年)、近藤真彦『ギンギラギンにさりげなく』(1981年)、そしてイモ欽トリオ『ハイスクールララバイ』(1981年)の3枚でした。

西寺 :トシちゃん(田原俊彦)は、「The Jacksons的なサウンドやダンスを換骨奪胎して日本に輸入する」っていう当時のジャニーズが目指していたことが最も具現化されたアイドルだったんですよ。

“ギンギラギンにさりげなく”は作詞が伊達歩こと伊集院静さんで、作曲が筒美京平さんだったし、イモ欽トリオの“ハイスクールララバイ”の作詞は松本隆さん、作曲は細野晴臣さん。そうやって考えてみると、僕が好きなテイストはもうこの頃から一貫してるんです(笑)。

 

西寺郷太

 


西寺 :その次の年にマイケル・ジャクソンが『Thriller』(1982年)をリリースしてから、 Wham!やCulture Club、プリンスっていう洋楽の波が日本にもどんどんやってきて。それをもう、浴びるように聴く毎日でした。

日本の男性アイドルポップ、いわゆるジャニーズミュージックと、1980年代の洋楽。当時から本格的なブラックミュージックより、「ブルー・アイド・ソウル」と呼ばれる白人的な感性で黒人音楽への憧れを再構築したアーティストが特に好きでしたね。英国出身の若い音楽家が大活躍していた時期です。なかでも特に心酔したのはWham!のジョージ・マイケルだったんですよ。

 

NONA REEVES『MISSION』収録曲



バンドを組むより先に、作曲にのめり込んでいった西寺少年
 

マイケル・ジャクソンやプリンスのような洋楽は、1973年生まれの西寺さんよりも上の世代が聴いていた音楽で、当時は気の合う音楽仲間がいなかったそう。すでにその早熟ぶりが窺えますが、10歳にしてラジカセとウォークマンを使って「曲を作る楽しさ」を覚えてしまった西寺さんは、頭のなかで鳴っている音楽を具現化するための方法を模索し始めます。

西寺 :中高生の頃は完全に洋楽志向でした。80年代は、60年代の「モータウン再評価」の時代でもありました(「モータウン」はマイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダーが所属した黒人ポップ・レーベル)。その流れから派生して、ジョージ・マイケルはもちろんフィル・コリンズやビリー・ジョエル、Daryl Hall & John Oatesのような、洗練されたコード進行を使っていたり、アレンジを作り込んでいてグルーヴィーな楽曲が大好きだったんです。頭ではいろんなオリジナル曲が鳴るんですが、中学生の頃は楽器奏者としてのスキルは全くなかったのでバンドも組めなくて、頭でっかちの洋楽かぶれみたいになっていました。

 

 


西寺 :プレイヤーとしては、高校生になって入った吹奏楽部で3年間みっちりドラムを習ったのは大きかったと思います。放課後はずっとメトロノームに合わせてビートを叩く練習をしていて。先生やコーチがいたのは、あの頃だけですね。地味な基礎練はつまらなかったけど、そこでリズム感は相当鍛えられました。

あと、ブラスバンドってパートごと、フレーズごとに細かく練習をするんですけど、それを経験できたのも大きい。おかげで音楽を聴いているときも、それぞれの楽器が別々にどう動いているのかを注意して聴くようになったので、アレンジ力も相当ついたんじゃないかな。特にこの頃、課題曲として知ってハマったのは(ジョージ・)ガーシュインの“ラプソティー・イン・ブルー”(1924年)。レナード・バーンスタインの“ウエスト・サイド・ストーリー”を顧問でピアニストの西田秀雄先生と、僕を含めた生徒3人の少人数で演奏したこともありました。マイケルやクインシー(・ジョーンズ)の源流にミュージカル音楽は当然ありますし、自分が今、ミュージカル音楽を作る立場になって10代の頃の吹奏楽部での経験がかなり役立ってます。

 

西寺の制作デスク

 

『MISSION』収録曲



20年苦楽を共にしてきた仲間との出会い
 

そんな西寺さんが、のちにNONA REEVESのコアメンバーとなる奥田健介さん(Gt,Key)、小松シゲルさん(Dr)と出会うのは、早稲田大学に入学してからでした。数ある音楽系サークルのなかから「トラベリングライト」(現在は廃部)を選んだ西寺さんと小松さん。そこには、のちにCymbalsのドラマーとなる矢野博康さんや、KIRINJIのベーシストとなる千ヶ崎学さんもいました。

西寺 :矢野さんが新歓コンサートでアシッドジャズ的なバンドをやっていて。たぶん、IncognitoやBrand New Heaviesのコピーだったと思うんですけど。ゴーストノートでグルーヴ感出してるドラムに痺れてしまいまして。矢野さんのドラムがカッコよすぎるという理由で、同級生の小松を誘ってそのサークルに入ったんですよね。で、1つ下の後輩だった奥田は、僕と小松が新歓コンサートでSly & The Family Stoneのコピーバンドをやっているのを見て、「トラベリングライト」に入ってきて。

 

ミネアポリスで買ったストラトキャスター

 


西寺 :ただ、学生時代は奥田、小松、千ヶ崎は別のバンドで。ノーナは最初、僕のソロユニットという形でスタートしたんです。僕がやろうとしていたような「80年代的な陽気なポップス感覚」って、一番ダサいとされてた時代だったんですよ。そういう意味では、奥田はちゃんと「90年代を生きて」ましたね(笑)。

僕がまったく知らなかったフリッパーズ・ギターも奥田は好きでしたし、The Stone RosesやPrimal Scream、マシュー・スウィートや、マーティン・デニー、The Beach Boysの『Friends』とかもちゃんと聴いてて。サークルでも「耳が異様にいい、クールなギタリスト」っていう立ち位置だったから、まさか20年後に、レキシのサポートの武道館で稲穂の被り物でノリノリなんて思いもしなかったけど(笑)。
 


J-POP全盛期にデビューしたNONA REEVESがイメージを確立するまで
 

当初、5人編成だったNONA REEVESは、1996年12月に1stアルバム『SIDECAR』をリリース。翌年の2ndアルバム『QUICKLY』の発表と同時にメンバーが2人脱退し、現在の3人体制になります。

西寺 :初めての印税で当時ヴィンテージのアコギ、Gibson「J-50」を買ったらものすごく気に入ってしまって。ワーナー(ミュージック・ジャパン)に移籍した最初のアルバム『ANIMATION』(1999年)が、アコギばっかり入ったフォーキーかつビートリーな曲が多かったのは、そのせいです(笑)。

 

思い出のアコギGibson「J-50」とともに

 


西寺 :当時、The Beatlesの『アンソロジー』シリーズが発表されて、いわゆるローファイ的な文化とアンプラグドブームがあって、『アンソロジー』の未完成のフィーリングのようなものが再評価されはじめていたタイミングで。StereolabやThe High Llamasのようなバンドも頭角を現してきて、そういう流れに思いっきり影響を受けてしまったんです。インディー時代の楽曲を聴いて見込んでくれていたワーナーからしたら、「お前ら、話が違うやん!」って感じですよね(笑)。

 

1999年リリースの2ndシングル。『ANIMATION』収録曲

 


西寺 :3枚目『DESTINY』(2000年)あたりで「ちゃんと売れなきゃマズイ」と思って(笑)。ちょうど子どもの頃から大好きだった筒美京平さんがノーナに目をつけてくださってプロデュースしてもらうチャンスがあったので、“LOVE TOGETHER”や“DJ! DJ! ~とどかぬ想い~ (feat. YOU THE ROCK★)”の2枚のシングルを作りました。MTV洋楽にハマる以前の原点回帰というか、僕のなかでは、京平さん的な歌謡ポップは完全にルーツなんです。その時期に書いた明るいラップチューン、“パーティは何処に?”も代表曲のひとつですね。

ノーナといえば、この頃のイメージが強い人は結構多いと思いますね。それまでの箱庭的なポップスから、Daft Punk、ファレル・ウィリアムス、ブルーノ・マーズのやっていることとも近い、もっとグルーヴィーな路線へシフトしていきました。

 

2000年リリースの5thシングル



「僕らにしてみたら完全に逆風状態だったんです。何をやっても響かなかった」
 

2002年、日本コロムビアに移籍したNONA REEVESは、通算4枚目『NONA REEVES』と、翌年に5枚目『SWEET REACTION』をリリースします。当時はRIP SLYMEやKICK THE CAN CREWといった、ポップなヒップホップがチャートを席巻、その数年後にはCymbalsやスーパーカー、PEALOUTといった同世代のバンドが相次いで解散するなど、音楽シーンが大きく移り変わっていく時代でした。

西寺 :残っているバンドも、たとえばくるりが『TEAM ROCK』(2001年)以降、打ち込みを導入して「次の手」を模索し始めていた頃で。僕らとしても、コロムビア時代もいいアルバムを出してきたつもりなんですよ。でも、いわゆるアラサー世代になって「ちょっと前のバンド」というイメージになりつつあったり、さらにWeezerやOasisに影響を受けたフェス仕様の1990年代リバイバルなギターロック・バンドが大流行したり。「おい! いつの間にか80年代通り越していったで!」みたいな(笑)。僕らにしてみたら完全に逆風状態だったんです。何をやっても響かなかった。

この時期は、いしわたり淳治くんを迎えて“透明ガール” (2005年)を作ったり、RHYMESTERの宇多丸さんをフィーチャーした“ラヴ・アライヴ”(2005年)をリリースしたりしましたね。2007年には発表したプリンスを意識した『DAYDREAM PARK』は自信作ですし、逆風状態といっても、創作のモチベーションはずっと上向きだったんですよね。

 

西寺のプライベートスタジオ「ゴータウン・スタジオ」のレコーディングルームにて

 

『MISSION』収録曲。ワーナー時代の後輩にあたる、クラムボンの原田郁子が参加

 


2009年、マイケル・ジャクソンが急死。その前後からマイケルに影響を受けたブルーノ・マーズやLady Gagaといったアーティストが台頭し、さらにDaft Punkが発表した『Random Access Memories』(2013年)の世界的ヒットをきっかけに、1980年代ポップスへの再評価も加速していきます。NONA REEVESも、この頃から再び脚光を浴びるようになっていきました。

西寺 :マイケルが亡くなる少し前から、彼や80年代ポップスについての原稿執筆や、ラジオの特集番組への西寺郷太個人としての出演オファーがどんどん増えていました。宇多丸さんの『ウィークエンド・シャッフル』に出演し、TBSラジオの帯番組、小島慶子さんの『キラ☆キラ』レギュラーコーナーが決まり。そこでの啓蒙活動が、ある種NONA REEVESへの追い風になっていたのは間違いないですね。

僕らのファンって、デビューしてからずっと女性が多かったのですが、ここ最近は10代後半~20代前半の男性が増えていて、今は4割くらいが男性で、握手会をやると10代の男の子がとにかく多いんですよ。今のマネージャーは10代の頃に『キラ☆キラ』の僕のコラムを毎週聴いて音楽の趣味を広げたという男で。「郷太さんの元で働かせてください!」みたいな(笑)。あと、いろいろプロデュース仕事をしてスキルを身につけたんで最近のノーナの曲にはちょっとアニソンっぽいのもあって。アニソンって現代の歌謡曲ですよね。そういうところがウケているのかなと勝手に推測していますね。

 

『POP STATION』(2013年)収録曲

 


西寺 :そういうバンドマジックは、僕一人で曲を作っていたら生まれないですからね。他アーティストへの楽曲提供も含めると、それこそ何百曲と書いてきて、自分の手グセみたいなものも知り尽くしてしまうと、自分一人で作った曲をバンドで歌い続けるのって結構つらいんですよ(笑)。だから、バンドのなかにもう一人ソングライターがいてくれるというのは、とてもありがたいなって思います。

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