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2014.04.01

大友良英「MR-2」インタビュー

 

「音好き少年」が帰ってきた。10代を福島市で過ごし、フリージャズに触れ、音楽の道へ進んだ彼、大友良英。以降、様々なバンドでギター奏者として活躍する一方、映画やテレビドラマの音楽の作曲、数々のプロデュース・ワークや即興演奏などの活動は、欧米やアジア圏といった活動域と同様、非常に幅広い。近年ではサウンド・インスタレーションなど展示作品の製作や、様々な人びととの協業による「ENSEMBLES」としての演奏活動、さらには障害のある子どもたちとのワークショップや一般参加型のプロジェクトにも注力している。今回、NHK総合テレビの番組『課外授業 ようこそ先輩』の講師として母校へ訪れ、コルグMR-2を使った録音の課外授業を行った大友氏に、授業を振り返りつつ録音や音のこと、即興演奏のことなどについてお話を伺った。

掲載日:2012年8月23日
 

先日の山口情報芸術センター(*1)からすぐ東京ということで、お忙しいですね。

きのう大阪できょう京都で、ちょうど東京に戻ってきたばかりです。僕、移動距離で言ったら日本有数のミュージシャンだと思うよ、単にこの30年間の移動距離だけなら(笑)。

(*1)同センターの10周年記念祭プレイベントとして2012年8月1日に開催された「2050年を想像する音楽-ドビュッシーとケージからの発想」にて坂本龍一、ジム・オルークらと即興演奏やジョン・ケージ作曲の「龍安寺」を演奏した。

やっぱり年間を通じて国内の移動が多いのでしょうか。

震災後は日本が中心ですね。震災前は海外の比率がすごく大きかったですけど。

さて先日の山口情報芸術センターでの演奏は、非常に緊張感のある演奏でした。

特にケージの曲は失敗できないので(笑)。全部譜面にビッシリと書いてあったから大変でした。難しくはないんですけど、見失うと最後みたいな譜面だったんですよね。内容としては超ミニマルなんだけど異常に長くて、それが繰り返されるから、どこをやってるのか分からなくなると二度と戻れない感じです。

もの凄く神妙な面持ちで演奏されていました。

いやぁ、ジョン・ケージの曲はあの曲に限らず、意外と遊べないですね。演奏家に作業を強いるような、演奏の喜びのほうに行かないようになっていて、(演奏とは)違う方向に身体の扉を開いていかないと、ケージの曲はちょっとできないかな。

このコンサートの前半では長尾洋史さんの演奏するドビュッシーのピアノ曲を挟むように大友さん、坂本さん、ジム・オルークの3人による即興演奏がありました。

曲間に即興演奏を差し挟む形式は面白かったですね、坂本さんのアイディだったんですけど。

長尾さんが演奏されている間はどういったことをお考えに?

いやぁ、ボーッと聴いているだけですよ(笑)、ドビュッシーを。

その後の演奏のことについて考えることもなく?

まぁ、最初の一手ぐらいは考えることもありますけど、ギターにしようか、ターンテーブルにしようか、といったことはね。逆に言えばそれぐらいしか考えてませんね。

それ以上のことは実際に演奏してからということでしょうか。

それもあるし、YCAM(山口情報芸術センター)は音が良いし、PAも完璧でしたので、音が良いとハッキリ言って何やっても成り立つんですよね。だから安心して好きなことだけをやりました。ただドビュッシーを楽しんで、即興演奏を楽しんで、といった感じでした。坂本さんもジムも本当に良い演奏家なので、それも安心して演奏できた要因でしたね。あと、残響で即興演奏って結構変わるんですよ。YCAMは広い会場ですけど残響は比較的短くて、やりやすいんです。残響が長いとね、どうしてもそのリバーブをずっと相手にするから、どうしてもそういう演奏になっちゃうんですよね。

どうやって演奏を終えるかで悩まれることは?

あぁ、そんなこと何にも考えてませんよ(笑)。ちゃんと良い即興演奏家とやると終わるところも分かりますし、何をやっても成り立ちますから。一方でソロの時はやっぱりどこかで何かちょっと作曲してるんですよね、即興とはいえ。でも、一緒に演奏する人数が増えるほど、自分でつけた道筋通りには行かないから、先のことをあんまり考えないんです。ソロだとどうしても考えちゃうんだけどね。だから例えばジムとか坂本さんとやる時は、いちいち先のことまで考えないの。それは相手に対する信頼もあると思うんですけど、それぞれが出していった音がどうなっていくかをホントに楽しむ感じで、厳密な意味では即興ではなくてそれも作曲かも知れないけど。すごく変わりましたよ、10年前20年前と即興演奏の考え方は。

以前はどういう考え方だったのでしょうか。

かつては良い即興演奏とか、良い演奏に対するすごく強い志向があって、言い換えれば自分の中の音楽的な強い志向の方向にどうしても演奏を持って行こうとしていたんだと思うんですよね。それって過去の記憶を強く参照してもいるわけです。でも今は、そういうこだわりはかなり消えてどうでもよくなってきたと言うか、どうやっても良い感じになるっていう感じで、泰然自若とした感じに近いかも知れませんね。それは相当やり慣れた人と演奏しないとそうならないんですけどね。変な野心もなく、どうせ良い演奏にしかならないぐらいな感じで。ただその代わり、良い音が出る環境じゃないと難しいですね、やっぱり。「何て思い上がったことを言ってやがる」って思われるかも知れないですけど(笑)。

つまり、自分の中での志向性が減退していくのではなく、他を認めていくような感じということでしょうか。

そうそう。何をどう受け入れるか、ですよね。だけど受け入れがたいものもあるんですよ、やっぱり。たぶんそういうふうにすごく変わったのは知的障害の子どもたちと音楽をやるようになってからですね。僕が考えていた良い音楽の基準みないなもんが全然通じないところでの音楽になっているので。

どのように変わったのでしょうか。

何と言うか、つまらないことを考えなくなった感じですかね。ジタバタしてもしょうがないや、所詮音楽なんだからっていうのがいつもどこかにありつつ、自分の演奏も人の演奏も含めて「これは受け入れられる、受け入れられない」っていうのがやっぱりあるんですよね。その基準がその前とはずいぶん変わっちゃって。その前は恐らく、フリージャズとか即興演奏の歴史の流れみたいなのがあるじゃないですか、それを自分なりに受け取って、その延長線上にある即興演奏の中で「世界即興演奏選手権」みたいなもの、喩え話ですからね(笑)。その中のひとつとして、世界42位ぐらいの位置にいたのかなっていう(笑)。微妙な位置ね(笑)。トップでもなく下っ端でもなく。それってそのボキャブラリーとか、そこのジャンルの価値基準の中で動いているからそういう順位のようなものが付けられるわけですよね、そんなような感じがしてたんです、90年代ぐらいは。だけど、そういう音楽だけじゃないっていう至極当たり前なことに、その知的障害の子どもたちとやるようになって以来気づき、あとお客さんからお金取ってやる音楽だけが音楽じゃないっていうことも、その時に当たり前のように気づき、でも自分はプロの世界だからお金取ってやる音楽の世界にいるんだけど、そうじゃない音楽でしかも即興をやってる人たちがいる。で、僕らと全然違う基準でやっていて、それが結構面白いなっていうのを目の当たりにして、その人たちとずっとやっていくうちにものすごく変わってきましたね。考え方そのものがね。だから、その「世界即興選手権」のカテゴリーに入っていないようなものでも「あ、これはアリ」とか「これはナシ」とか、なんかあるんですよね。例えばジャズとか即興演奏でも嫌いなものはいっぱいあって、好きなものはホントに少ないですね。そのホントに少ない大好きな音楽があるんで音楽をやっていますけど、概ね嫌いですよね。「音楽嫌い」かも(笑)。

逆に好きな音楽に共通したものはどんなものがありますか?

何かあるんだと思うんだけどね、それが何なのか僕はよく分からないんですけど、嫌いなものに共通したものも何かあるんですよね。でも口じゃうまく言えないなぁ…。うまく言えないんですよ(笑)。

どういうところが「良いな」と思われるポイントなのでしょう。

それが分かれば良いんですけどね…。子どもたちは、別に楽器が上手いわけでもないし、何か画期的な即興演奏をしているわけでもないし。だからホントによく分かんないんですけど。ただ、僕の好きな音楽のコアにあるものは、楽器の上手いとか下手とかと全然関係ないところにあって、上手い人で「それ」がある人もない人もいますし、楽器が下手でも「それ」がある人もあったりない人もいるんですよね。で、そのコアは何なんでしょうね。自分でもよく分かんないんです。ただ自分自身の演奏にも「それ」があると良いなって思うんだけど…。「それ」って何なんでしょうね?(笑)

その「何か」を演奏されている時に感じることもあれば、必ずしもそうでないこともあるわけですね?

そうです。演奏側の問題だけじゃなくて、僕がそれを聴き取れるかどうかということもありますから、単に演奏の側だけでもないんですね。あとシチュエーションも重要で、ラジオから聴こえてきたのか、目の前で演奏しているのかによって全く同じ音楽でも意味は違うし、僕自身が疲れてる時と元気な時でまた聴こえ方が違うから、たまたま色んなものが重なり合った上で、「ああ良い音楽だ」って感じるんだなって思うんだけど、そのひとつの方向だけじゃない色んなベクトルである音楽が生まれるじゃないですか。例えば疲れてないかとか(笑)、会場が好い感じとかね。そういうのも結構重要でしょ。あるいは、イヤな感じの時のほうが良い音楽に聴こえることもあるかも知れないから、そういうシチュエーションも全部含めた上で、何かある音が音楽になるんだな、と思うんですよ。そんなことをこの10年ぐらい色々考えていくと、やることが音楽以外にもどんどん広がっていって、それでサウンド・インスタレーションのほうに手を出したりとか、実際に目の前で人が演奏していないけど音楽が鳴っていくような状況設定を作ったりとか、あるいは音楽になる直前の寸止めみたいな状態を楽しむとか、何でしょ、ホントに広がりまくっちゃってて自分でもどう説明したら良いのか分かんないんですけどね(笑)。